2011年04月12日

一を言われる前から十わかるのが、本当の神の神民である。

世界の父親は一体どこにいるのか。子に苦労を背負わせ、自らの魔釣りの快欲を満たすために、魔釣りの思想を広め、自らその実を享受する。父親が子の真似をしたらうまくいくのは当たり前である。子供のマ違いを正すどころか、子に好き放題をさせ、子のマ違いを利用して、至福を肥やすとんでもない父親である。父親(スメラ、日本)が真コトを示し、母親(ユダヤ)を真コトの乳(栄養、響き、思想)の出る母親に改心させて、その母親が父親を認めることで、母親の言うことしか聞かなくなった子供たちを改心させることが、家庭(世界)の立て直しの唯一の方法である。

文字通りの「家庭」から国家、国際社会、神々の世界まで、すべてが同じ仕組みである。世の乱れの大元は、ヒノモトの真釣り外しであるから、世界を立て直すためのその基は、すべての源である、ヒノモトの神民一人一人の真コトの改心である。真釣りで魔釣りを真釣り和し、世界の穢れを奇麗に祓うことで、元のミロクの復活の礎ができるのである。

神社は綺麗に掃き清められて、初めて神の鎮まる社となる。元つ大神は穢れ一つない国土に降りる。真コトなきところに、真コトの神は降りない。まずは、ヒノモトの掃き清め、ヒノモト神民の身魂の穢れ祓いからである。そのためには、魔コトで穢れた日本人を真コトの響きで逆洗脳することが必要となる。蛇の知恵の響きを綺麗サッパリ消し去って、自らの内に巣食っている魔釣りのアヤマ知を綺麗に大掃除し、魔コトで汚れた身魂の大洗濯をして、真中の一厘の真コトを救うことである。


神から人まで、世界の父親として世界を支える苦労の役目をサボって楽をし、子を甘やかし、お友達になり、好き放題させて、子供の苦労を奪って進歩発展を享受してきた今の日本に真コト真釣りの神が現れたらどうなるか。「八百万の」神々、臣民共に、これからが本当の地獄の始まりである。雛型を直せばすべて直る。世界の再生は、雛型である日本の大掃除からである。

21世紀に入って様々な矛盾が表面化し、様々な「神話」の崩壊が誰にも見えて、初めて大騒ぎする。人に任せて苦が来れば文句を言う、訴える、苦情を言う。子の育て方がわからない、自らでは何も考えられない親。日本は一体何をしているのか。言われなくても自らの行いを省みて、おかしい所を率先して直す。一を言われる前から十わかるのが、本当の神の神民である。真コトを取り戻し、本当の親に戻って欲しい。
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2011年04月10日

自らが真コトの神社であり、宮司であり、祭神である。真コトの行いが本当の参拝である。

真コトの一厘のない蛇がどんなに知恵を巡らせて生き残りを図ろうとも、真コトの智慧は得られず、最後は、自らの知恵で自らを滅ぼす。蛇が竜のフリ(水が火のフリ)をしても、真コトの竜の火が立てば、跡形もなく消えてしまう。逆立ちではいつまでも歩けない。本当の大地に足場を築かなければ、必ず倒れる。上下を間違えれば、すべてのすべてが九分九厘でひっくり返るのである。この世の型示しが何を意味するのか、その真意がわからなければ、足場をすべて失う。現代社会の土台が魔コトのアヤマ知で築かれているならば、すべてのすべてが崩壊するのは必至となる。本当の足場は、真釣りの真コトの響きである。自らが真コトの神社であり、宮司であり、祭神である。真コトの行いが本当の参拝である。

真釣りと魔釣りは裏表であり、全く逆さまのハタラキである。魔釣りの天国は自滅。生き延びたければ、自らの命の基にしている「蛇の火(アヤマ知、魔釣り)」を自ら自覚を持って奇麗サッパリ消すことである。もし、それをしないならば、しないあなただけが竜の火の元(竜のヒノモト)の響きとともに消滅し、万古末代永遠に、二度と生き返ることはない。今の日本は、魔釣りの知恵の魔力で去勢され、本当の父親としての自覚はないに等しい。去勢された父親からは、子供は生まれない。しかし、去勢したのは蛇である。真中の響きは絶対に去勢することはできず、真コトを取り戻せば、本当の真コトの父が復活することができる。蛇の知恵の神が天国を創ろうとして右往左往してきた、神々を含む人類の歴史。それは儚い幻想に過ぎない。ヒノモトが、竜の火の響きを世に現す御役である。従って、ヒノモト(の民)が元つ真釣りの真コトに戻れば、本当の天国が復活するのである。

まずは、あなたが真コトを思い出し、あなたの世界で真コトを貫き通すことである。真コトに戻らなければ、あなたは真コトの日本の再生には貢献できない。真コトの日本が甦らなければ、世界が真コトを知る機会は失われる。あなたの生き様がヒノモトの天命を果たすその礎となるのである。これからが本当の日本の出番である。元つ真釣りの大神様と正神真神の御霊統の神々が総出で支えるから、何も心配せずに、生死時空を超えた世の真釣り戻しの天命を果たしてもらいたい。神界の響きでは、本当の日本(神武天皇)が建国(復活)されている。それがこの世に型示しされることで、金と形と論理で世を進めた、水(形)に映して見せないと気づかない魔釣りの国が「本当の日本」を身を以って知ることになる。

真中の真コトの一厘を見失った魔釣りの身魂に真コトの一厘を入れれば、真釣りの身魂となる。知力の神は、自らの世が存続の危機になると、始めは抵抗するが、叶わないと思えば頭を下げる。現代社会の「利権を守る抵抗」はその型示しである。型に出た時は、響きの世界はもうできているから、現れた素型を壊しても無駄である。正神真神のハラの響きは真釣り、知恵の火の神のアタマの響きは魔釣りであるから、最後の大掃除=ハラとアタマの戦さでは、魔釣りの宗教とアヤマ知で創られた金と科学の力(外国)は、真釣りの真コトの力(日本)には絶対に叶わない。日本が必ず勝つ戦である。日本に服従すれば、世界がすべて勝つ戦である。本当に平和で自由な世界を創る本当の戦い。真釣りの真コトを復活することが、万象万物が万古末代弥栄える、時空生死を超えた永遠の天国の礎となることを、日本人一人一人が心底自覚して欲しい。天皇も含めた日本人一人一人の、各自の大掃除が真先である。次に日本の、そして世界の大掃除。本当のハルマゲドンが始まる。
posted by oct49 at 08:36| 京都 | 宗教/社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月07日

世界を救う真コトの一厘....

世界を救う真コトの一厘。天皇から庶民まで、日本のお土に産まれ、育まれた日本人全員が思い出すべき真コトの一厘である。

本当の日本の一厘を穢した事実は消せないから相応の大掃除はあるが、この一厘で元つ大神の御用を果たすことが、これから始まる世界の立て直しで日本が果たすべき天命である。

これは空想でも理想でもなく、「元つ真釣りの大神の創造の法則」に基づいた元つ仕組みである。これを荒唐無稽の夢物語、狂った宗教家の戯言として闇に葬るのが、真釣り外した現代社会で教わった常識なのである。現代社会が逆さまであるなら、真釣りの世では、現代社会の常識が荒唐無稽となる。

この本の話と現代社会の常識、どちらが本当の真実なのかは、現代社会を見れば明らかである。

ハラとアタマの戦いとは、現代社会の魔釣りとミロクの真釣りの時空を超えた決戦である。真コトの一厘があることを思い出し、それを認めて心底から改心し、魔コトの宗教と科学を捨て、真釣り外した分の身魂の大掃除の辛苦に耐えて、見事ミロクの開闢の天命を果たして欲しい。
posted by oct49 at 11:36| 京都 ☁| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月31日

真釣りに戻った「人」だけが、元の神代、永遠の天国で自由を謳歌する。

真釣りの世は、真釣りの響きを持つ「人という神」の世であるから、「宗教」は存在しない。政教一致の政治でさえ国が治まらないのであるから、政教分離の政治がどんな社会をつくるのかは明白であり、政治家の足場である国民の中に宗教が存在している限り、完全な政教分離は不可能である。神仏を信仰する国民を統治するということは、その国民とは切り離せない神仏も統治するということである。

人が神を支配する、という逆さまの魔釣りで世を治めることは絶対にできない。神に祝福を祈る大統領や、神社に参拝する首相、宗教団体や慈善(=アヤマ知)団体を支持基盤に持つ政党には政教分離はできない。政治家の思想の源には神がいる。基の神が魔釣りであるなら、神に祈るほど世が乱れていく。その政治家が作る法律が支配する国家を運営する行政、司法、経済システムに命の基を置いている国民も、結局は政治家と同じ世界にいることになり、最後は、国家丸潰れとなる。そのシステムで運営する国家の集まりである国際社会も、その社会の源である神々の世界も、魔釣りで作り出したものは、すべてのすべてが、破滅する。神のマ釣りを直さない限り、真釣りに戻さない限り、世の政は直らず、魔釣りの乱世を進めた挙句に、世は滅ぶ。

神を源流とする宗教、思想、哲学、科学の一連の流れの人類の歴史は、真釣りの復活と共に無に帰す。そして、真釣りに戻った「人」だけが、元の神代、永遠の天国で自由を謳歌する。
posted by oct49 at 06:36| 京都 ☀| 宗教/社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月30日

悪を裁くのは、魔釣りを生かすための茶番である。

真釣りは真釣りである。魔釣りは真釣りには影響しない。子は親の鏡であり、その子は自らの映しであるから、子が親を殺す状況になるならば、オウム教団を非難する現代社会こそがオウムの産みの親である。

オウム事件の謎は、現代社会の思想の中に答えがある。オウム教団の思想を調べても何も答えは出ない。オウムを許せない自らの中にオウムを産み出した源がある。従って、オウムを非難できる者は一人もいない。真釣りなら全く影響ないからオウムを裁くことはしない。オウムを裁くならば真釣りではない。真釣りでない社会は魔釣りで滅ぶ。

教祖を死刑にしても何も解決しない。瞑想が修行である宗教の教祖にとって、独房は瞑想室であり、死は解脱の到達点である。まさに、彼にとっては都合の良い環境を与えられたことになる。だからと言って、大量殺人の首謀者を懲役刑にすることは、極悪人を目の前に置き続ける堪え難い状況であり、善悪は絶対価値ではなく、その善悪と生死を超越した存在に対しては、死刑は救済となり、無罪にすれば、「善人」の側が危機感を感じながら生きなければならないというジレンマを抱えることになる。

『何の罪もない人間は一人もいない』それが、真コトの真実から見た真理である。

本当の真実の前には、法の裁きという概念と裁判システムは無効となる。善悪を超えた犯罪には、刑法は無力と化してしまう。現代社会の罪概念や法理念とは全くの逆さまであるから、死刑が罰にならないという自己矛盾を露呈することになる。

実は、悪を裁くこと自体が悪なのである。『それはおかしい』というならば、オウムを裁き続ける堂々巡りの中に戻ることになり、謎が解けないまま、自らが魔釣りと共に滅ぶ。悪を裁くのは、魔釣りを生かすための茶番である。
posted by oct49 at 06:30| 京都 ☀| 法/宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月28日

今ここで本当にすべきことは、真釣り戻しのみである。

著者は、恐怖を煽っているわけでも、脅しているわけでも、宗教の勧誘をしているわけでもない。あなたが現代社会の正体と身魂の現状を自覚して、真釣りに戻れるように、真コトの真釣りが世の神法であることをお伝えしているだけである。余計なお世話だと言うならば、それはそれで構わないが、どんなに苦しくても、不可能に見えても、あなたの改心次第で、必ずミロクに帰ることができる。

現代社会の日本国が描く未来に夢を託すのもよいが、この本から、真釣りの真コト、本当の自分の正体、現代社会の闇の闇の真相を汲み取って欲しい。

あなたが、この世で、今ここで本当にすべきことは、真釣り戻しのみである。

天地創世の真釣りの元つ大神直々の、生死も、時空も超えた、万古末代一度こっきりの、死んでも死んでも続く、祓い清めである。神や仏ですらどこにも逃げられない大祓いであるということをよくよくハラに据えて、永遠の天国に戻るために、頑張って欲しい。
posted by oct49 at 06:36| 京都 ☀| 宗教/社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月27日

あなたをミロクに連れて行ってくれる救世主はどこにもいない。

真釣り戻すご苦労は今のあなたにとって堪え難いものかもしれない。しかし、それは、あなたが真釣り外した結果であり、あなたが呼び込んだ厳しさである。本来ならば、あなたは神法違反で消滅しているはずの身魂である。あなたのご苦労が修羅の地獄の1億乗の厳しさであったとしても、絶対に無理だと思ったとしても、神法違反のあなたを生かし、真釣り戻しの機会を与えるために「情けと花の仕組み」を構えた元つ大神のご苦労と比べたら、全く問題にならない。

著者のここに至るまでの苦労でさえ、大神がなさったご苦労の髪の毛の先のその先の先々ほどの苦労である。真釣り戻しの様々な障害を自らですべて体験し、真コト真釣りを現代日本に現すのが著者の御役であり、その集大成がこの本である。

あなたはこの本を書くための苦労はいらない。それは著者の役目であり、あなたは、この本を使って自らの真コトを磨き出すだけでよい。つまり、この本を読んでいるあなたは、大神の毛の先のそのまた先の先々の苦労どころか、そのご苦労を辛抱してきた著者の苦労の毛の先の先々ほどのご苦労に堪えればミロクが約束されるのである。しかし、そのご苦労でさえ、今のあなたにとっては、慙愧慟哭、修羅の地獄のそのまた地獄の苦しみかもしれない。もしそうだとしても、あなたが元のミロクに帰るためには越えなければならないご苦労なのである。なぜなら、神法違反をしたのは自分であり、自分が真釣りに戻すしかミロクに帰る手立てはないのである。

あなたをミロクに連れて行ってくれる救世主はどこにもいない。あなたが真釣り戻せば、大神が助け舟を出すだけである。今世の魔釣りの宗教の神仏、思想に固執している限り、あなたは、本当に、永遠のイノチを失うことになる。

著者は、自らのモデルを探してもそれは叶わず、真コトと思って入った道も、一厘の違いで真コトではないことに気づくという繰り返しを生きてきた。終ったと思っても終わらず、真コトと思っても真コトではなく、自らがそのモデルであることを認めるまで、本当に苦しい道のりだった。つまり、著者は、この道に入って以来、自ら以外に外に頼れるものはなかったのである。あなたがどんな苦労をしていようとも、それは、魔釣りの世界の常識で言う苦労であり、真釣りを外し続けて、自らの真釣り戻しの苦労を増やすだけの「苦業」である。自らの苦労話をして他人の同情を引こうとしても、それは、真釣り外しであるから、大神から見れば、大掃除の手間を増やすだけの、神をも恐れぬ所業である。

この世の、今この時の些細なご苦労で愚痴や不平不満を垂れ流し、自らを守るためにツベコベと御託をならべ、アレコレと逃げる算段を画策しているようでは、あなたにはミロクは全く関係のない世となる。今の災害や苦難に耐えられないようでは、一度で一気に世を祓い清める「時空生死を超えた大掃除」にはとても耐えられない。たとえ、最後の大祓いまでに、真釣り戻しを終えることができなくても、今からでも、少しでも真釣り戻しをしておくことが、最後の大掃除の自らのご苦労を減らす術である。百歩譲って、今まで好き放題に生きてきたとしても、真釣りがあることを思い出し、真コトの道に帰ることを決めただけでも、とてつもない難しい試練があるにせよ、ミロクに帰る機会は、まだ消えていない。
posted by oct49 at 12:22| 京都 ☀| 宗教/社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月26日

「真釣り」は絶対不変の神法であり、天地自然を生かすハタラキである。

『国民の意見を聴いて政治に反映させる』『消費者のニーズに合わせて製品を開発する』と言うが、それは、自らの存続のための方策であり、相互依存の世界だけで通用するものである。「真釣り」は絶対不変の神法であり、天地自然を生かすハタラキである。本来、法とは、人民が合わせるものである。しかし、その法の基が真釣りでないならば、いかなる法を定めようとも自由も平和も実現しない。『何のために政治をしているのか』『何の目的で法律を定めるのか』実際は、王政でも民主制でも、獣のピラミッドの支配の制度であり、主権が誰にあるかの違いで、争いを産み続ける世界である。蛇がアタマを交換しても、結局は蛇のままであり、有限の世界だと言っている限り、天国は実現しない。

真釣りは永遠不変の神法である。それに基づいた王が治める世界がミロクである。人類の歴史の王政と九分九厘同じだが、足場にあるものが違う。これを独裁だというなら、勝手にすればよい。その時が来てどうなっても自業自得である。神の掟を外し続けた末の現代日本から神の掟を見れば、「悪魔の悪魔」の宗教に見えるが、それは、自らの鏡である。本当の天国とは全くアベコベの世界を「善(正)」と思えば、それに基づくいかなる制度も、目指す理念は実現できない。世の破滅は避けられない。元つ真釣りのミロクの世は、生死一如、時空超越の世界であるから、今ここで神法違反をしているならば、例え死んでも同じことであり、今のままならば、この世にもあの世にもどこにも国を作る場所はなくなる。永遠の滅びである。

本当の天国は復活する。そこにあなたがいるかどうかは今ここの選択にかかっている。光を一つ上げる、とは、魂の一生という思考ですべてを見ることである。今でいう一生は、魂の一生では、幼稚園の入学から卒業までの体験に過ぎなくなる。あなたという身魂は、まだ一度も死んでいない。今回の大祓いが、永遠の生死の分岐点である。
posted by oct49 at 08:54| 京都 ☀| 法/宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自由で平和な世では、自由、平和という定義はいらない。

選挙制度は多数決であり、少数意見は反映されない、悪平等のシステムである。それが必要悪だというならば、国家支配権争奪戦、政権争いという思想戦争は永遠に終わらない。魔釣りの響きのアヤマ知の二極分裂の世界での全員一致した思想は『戦い』であるから、絶対的善悪の立場に分かれた全員が平和に暮らせる社会は実現できない。全員が平和に暮らし、形の上での戦争も現れない世界ならば、テロも反戦も口にすることはない。戦争か平和か、と言っても、結局は、両方とも戦いである。平和を守る戦い、自由を守る戦い、幸せを守る戦い、である。相互依存の世界では、戦わずして安定はない。安全は勝ち取ったものであるから、守る必要が生じる。しかし、戦っているなら、永遠の安全はなく、戦いを有利に進めるために、(自分が主導権を取るために)戦略本部が必要となる。世の黒幕の親分は、自らが天国に成ろうとすると滅びるという矛盾に気づいていない。自由で平和な世では、自由も平和も当たり前であるから、自由、平和という定義はいらない。対立概念がないから選挙戦もできない。戦いがないから戦争もない。天国には天国しかない。

現代社会は『義務を果たさない者は、権利を行使できない』という思想が根底にある。法律で義務化すれば、違反者は処罰されることになる。棄権は、白紙委任とみなし、棄権した限りは、文句は言わせない。投票するか、投票しないで服従するか、の選択である。議会民主制自体が魔釣りのシステムであり、政権争奪戦をしている限り、どの政党に投票しようと、真釣りの政治はできない。今世は、全員が魔釣りであるから、真釣りの政治家は選択できない仕組みである。実際は、真釣りの政治家には、選挙システムは意味がなく、選挙で政治家を選ぶ必要がない。魔釣り世での真釣りの者の意思は棄権という行動になる。表面に現れた「棄権」という行動は同じだが、それは、反抗心からでも、無関心だからでもない。政治に関心はあるが、逆さまの世の政治家には実現不可能だから、投票というゲームに参加しないだけのことである。真釣りの者が魔釣りの世で意思を表現すると、無関心、無責任、無感動になる。対立がないから、喜怒哀楽もなく、永遠のナギ、傍観者の傍観者となる。魔釣りの世界が、真釣りの神の世を役に立たない空想物語にしているのと同じことである。魔釣りの世の形をどう変えようと真釣り世にはならない。後少しの遊びである。
posted by oct49 at 08:53| 京都 ☀| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
プロフィール
名前:長谷章宏
職業:トータルライフコンサルタント
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