2017年06月11日

歴史上いまだかつてない激動の時代を乗り越えるための真日本復活への処方箋

    【実践・日本真道】 長谷 章宏 著 (P81〜82)より

P81
日本は神を封じ込めた神国である。江戸時代の檀家制度で仏教を強制し、義務教育の公立学校=日本流無神論教会で、「宗教」教育を禁止しているのは、神を封じ込める思想の型示しであるが、そのことが、宗教的盲目の国民、日の丸と君が代をすぐ戦争と結びつけるような短絡的思考の国民を大量生産する結果をもたらしたのである。神亡き日本が、イラク戦争という「イスラムと十字軍の聖戦」の尻拭いに自衛隊を派遣することの意味など分かるはずもない。最新戦術の戦争に丸腰で参戦したようなものである。私立学校の宗教教育も魔釣りの宗教の教えであり、本当の意味での宗教は日本に存在しない。国旗は国家の理念の象徴であり、国歌は国家の理念の言霊である。校旗や校歌に誇りを持つが、その親である国家の国旗と国歌をないがしろにしている国は稀有である。それが、世界の親国であればなおのこと、右翼も左翼も嫌って、どっちつかずの曖昧を好み、日の丸君が代の真意が全く見えなくなった日本国は、言わば、中身のない形だけを見て右往左往する、大黒柱を持たないへなへな腰の情けない国である。アヤマ知の教育の作り出す常識にどっぷりと漬かって、心理=神理=真理の公式を見失い、「哲学は安全な学問、宗教は危険な教え」というように、宗教と科学を別物と見ている者たちには、戦後教育の正体を見破ることはできない。たとえ、その正体を知っても、今日の社会で立場が不利にならないように知らない振りをして語らないか、『絵空事』『危険思想』『こじつけ』と断罪するのが関の山である。実は、現代社会に至る人類史を動かしている裏舞台に気づかせないように、そういう見方を教育して真実を封印することが、文科省も教師も知らない、学校教育制度の裏の設立目的である。支配のピラミッドを形作る制度は、義務教育学校、強制檀家制度、中国共産党の組織、キリスト教会等、形は変われども、その目的は、社会の構成員を何れかの下部組織に所属させ、上の思想を伝達、普及、徹底させることにより国家組織を維持し、反乱分子を監視し易くして国家の崩壊を未然に防止するためのシステムである。国際組織も同様で、所属国を監視し、勝手な振る舞いをさせないように仕組まれている。獣の響きの世界での自己保全には、相互監視、相互警戒が不可欠である。現代日本は、社会不安が増大するに連れて、疑心暗鬼となり、監視カメラ、盗聴、内部告発、児童虐待の通報の奨励等々、共産主義の秘密警察の下の相互監視の密告の世界である。今の世に自由などないのである。

政教分離、公立学校の宗教教育禁止は、神仏を大切にする心は良いが、その思想を実行するのは許さない、ということである。戦前の国家神道が日本帝国主義を産んだという理由で、政治、教育と神道を分離し、天皇に人間宣言をさせ、平和と民主主義と人権の憲法に基づいた国づくりを進めた日本国。進歩、発展、科学教育、市場主義経済、民主主義、戦争放棄の国家運営をした結果、現代日本がどうなっているか。神道が悪いといって封印した側の思想を実行した帰結である。今の日本国は、三千年に渡って巧妙に仕組まれた、神国日本の響きを葬り去ろうとする魔釣りのアヤマ知の毒牙に完全に冒されている。ここから立て直すには、真釣り戻し以外の手はなく、その歩みは、苦難の連続となるだろう。戦前の大日本帝国の振る舞いは、神道が悪いのではなく、天皇を利用して国家支配を企む政治家や軍部の根底にある魔釣りの響きがもたらした歴史の必然である。参考までに、元つ大神から、昭和19年に、岡本天明氏を通して、「日月(ひふみ)神示」が降ろされている。これは、黒住、金光、天理、大本と、近現代日本を通じて、元つ大神が、時代に合わせて世界の親であるヒノモトに向けて降ろした、真コトの神仕組みと世の立て替え立て直しを予告する一連の神示の流れの預言である。平成4年には「火水伝文」が、現代の日本人に分かる文章で降ろされている。著者のこの本は、その集大成であることをお伝えしておく。


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     【火水伝文】 我空 徳生  P17〜22より

 三千年の昔より、汝らには解らぬよう汝等の心身の薄弱化を図り続け来たる力ありたぞよ。そは汝等の身魂捕らえるがためぞ。汝等の心、曇り曇らせ汝等の光輝忘却させ、自ら思考する事の出来ぬ獣と化さしめ、欲望のままに生くる者となさしむるがためぞ。そは汝等アメとムチにて治めんがためなるぞ。そは己が野望を成就せんがためなるぞ。そは自ら地球の盟主とならんがためでありたのじゃ。
 汝等を獣化せしむるに用いたる、主たる力が『あやま知』なるぞ。かの力、侮りてはならんと申した事、こ度の人類の歴史、彼等の思うどおりに描かれ来たりたの見つれば得心致すであろうがな。汝、幾度もの転生揺りかごから墓場までどっぷりと彼等の作りせし世で過ごし来たりたのぞ。三千年の企みぞ。そ度『あやま知』に囚われ囚われ苦しみ来たったのぞ。ソクラテス殺せし力も、イエス殺せし力も『あやま知』なるぞ。マコト唱えし者殺しマコト覆い隠せし力『あやま知』なるぞ。『あやま知』言うも直接手を下せしは『あやま知』に囚われたる人民様でありたのぞ。ここそ『あやま知』の狙うた企みぞ。果であるぞ。力であるぞ。
 『あやま知』仕掛けた者ども、この力よく知りておる。本来チカラ無きも知りておるのじゃ。悪は苦労に甘いから、知らず誉め称える人民様ばかりじゃ。誉めて力与えしも人民様ご自身なるぞ。誉め称える度毎に汝等の身魂、曇りに曇りて行きたのじゃ。ワナにはまりて行きたのぞ。治め易き獣と成り果てたのじゃ。『あやま知』操る者どもも『あやま知』振りまく害悪を、知るが唯一の者なれば自ら冒され無き者と、勝ち誇りておるなれど、こ度は悪の影さえ残さぬのざから最期の仕上げを見てござれ。こ度の相手は元つ神ぞ。決死の覚悟で来てござれ。
 しかあれ、彼の者どもも始源の時汝等と共に『囚われ』の重き病みにかかりた者でありたのじゃ。このこと彼の者どもも知らず。由に『我善し』と思うておるのじゃ。この事、こ度に関わる深因なるゆえ覚えおきくれよ。後に解かるぞよ。
 今、最期の時。彼等の企み、彼等の申すとうり九分九厘成功しておるのぞ。彼等の企み最も鮮やかに花開きたるは日本なるぞ。汝、気付かぬか。日本の人民様見てご戯れ、上から下まで見てご戯れ、彼等の言うた<自ら思考する事の出来ぬ>人民様や<欲望のままに生くる>人民様ばかりの世になりなりておろうが。ここそ『あやま知』に見事にはめられし果ぞ。実ぞ。証ぞ。破滅の花でありたのじゃ。
 破滅の花はこわいぞ。欲心の種何処ともなく寄り付きて汝に芽吹くが由なるぞ。これ大事なことぞ。汝『あやま知』にどぷりと囚われておるが由、関わり無きと申すなれど、汝の持ちたる衣の糸引いて見て下されよ。食の糸引いて見て下されよ。住の糸引いて見て下されよ。衣食住その糸引きたる先見れば、商人がいるであろうが。更に引きたる先見れば工場見えるであろうが、農場見えるであろうが。さてその先に、汝何を認めしか。汝等日々ほとんど省みし事なきが、そは資源ぞ。汝等の創りたりえぬモノぞ。天恵ぞ。水ぞ。油ぞ。食物ぞ。鉱物ぞ。森林ぞ。海洋ぞ。地球ぞ。すべてのすべて神なるぞ。
 汝等この天恵なくば一日たりとも生きてはおれんのぞ。されば汝等一人一人にその糸集まりきておろうが。されど汝等、自然とあまりにも隔たされ過ぎたるが由に衣食住の本義忘れ、ただただ『あやま知』たる衣食住むさぼり生くるようになりてしもうたのじゃ。食えば食うほどゼイに入り、着買え着捨つる狂り返し、住むに不自然作り上げ怪適かなえる物集み、『あやま知』病みたる欲望の糸引く勢い増しに増し、『我善し』消費の限り尽く。引かれし糸の先見れば、ワガ国ばかりか他国まで天恵むさぼり略奪の汚名頂く様となる。三千年の策略に、まんまとはまりし由なれど、成せしは汝の罪なるぞ。天恵とられし国々は、衣食貧しく住難く、辛き思いの国なるぞ。物心飢餓の国作り、地球の環境悪化させ、騒ぎ起きれば人ごとの、援助、援助と騒ぎ立て、汝の成せしは自覚無く『あやま知』たてたる援助にて、金だし、口出し、手を出して自国ばかりか他国まで利権むさぼり食い尽くし。『あやま知』散々ばらまきて、山死ぬ海死ぬ心死ぬ、貧富逆巻く悪き世にさせたが日本の罪なるぞ。寝ぼけマナコに在りては危ういぞ。こ度の大変、悪神は日本の人民様餌食に致してやり通す、申す声聞こえんか。これより日本を世界の悪者に成す仕組み、どんどん表に顕れ来るぞ。出て来てから騒ぐなれど後の祭りじゃ。真釣りは真先でなくてはならんのじゃ。これで少しは解かりたか。


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  【実践・日本真道】 長谷 章宏 著 (P165〜167)より

衣食住、都市計画から、経済の支えあいまで、すべてのすべてが同じ仕組みである。下にあるべきものを上で使えば、本来の姿形に戻す力が働く。自然の姿は、火、岩、土、水、木、空気の順番である。物理法則は分かっているはずであるのに、現代文明の都市の姿は、物理法則に反した形で作られている。だから、維持するのに力がいる。神の掟に反した「バベルの塔」は、どんなに抵抗しようとも、いずれは壊れる運命なのである。一番力があるものがどこにあるのか。すべてを支えるものはどこにあるのか。それを教えるために、重力という力が存在するのである。神は上にはいない。神は、今の人間が思っている天にはいない。心が想像する上というのは、形でいえば下である。支える者は、下にいなければ支えられない。指導者が上から引っ張っても結局は支えきれなくなって、綱は切れてしまう。くもの糸のカンダダの末路である。その「上」で支える者を支えているのは下である。電車の架線は、架線柱を介して岩が支えているのである。空気も海も同じ仕組みである。
P166
地震で都市が瓦礫と化す。その結果、多数の人間が死ぬ。そして、防災対策を強化しようとする。しかし、よく考えれば、不自然なやり方で形にしたものが壊れて、元の形に戻っただけである。あるべき形に戻っただけである。いったいいつまで、どのくらい防災したら災害がなくなるのか。そもそも、「災害」はなぜ起きるのか。なぜ、自然の脅威を見せつけられるのか。その根本原因はどこにあるのか。都市の始めは自然である。ジャングルがコンクリートに姿を変えたのが都市である。アベコベをやっているから壊れるのであり、自然の法則通りにことが起きただけである。自然に反したものは淘汰される。この法則は、すべてに当てはまる。人間の言う自然界だけの法則ではない。自分自身をも含めた、万象万物に例外なく適用されるのである。自分自身が喪失感や失望感、危機感を感じるならば、それは、自分自身が自然の掟に反したことが、原因である。自分の外をどう操作しようと、ますます危機感が深まっていくだけで、絶対的安心感を得ることは、永遠にできはしない。

破壊は自然の法則に反した結果であり、自然な現象なのである。自然に反したものを作ったのが破壊の原因である。従って、防災、抗菌、殺菌云々という思想は、自然に反した者がその状態を維持するために自然のはたらきに抵抗していることになる。壊れるのは自然に反したからであるが、それを壊れないようにしようというのは、不自然が生き残るために自然を破壊していることになるのである。本来、自然には破壊は意識されない。破壊は隠れている。常に、生成が上回る。破壊<生成である。現象として破壊と生成が同量でも破壊が見える前に生成が始まるから、見えるものは生成しかない。もっと言えば、生成が瞬時に終われば、破壊も生成もなく、存在し続けるだけになる。「すべてがある」状態が存続するだけであり、そこには何も不都合は生じない。破壊を避けるという思想はない。現代社会の人間は、天国を求めて不可避の破壊を避けるために生きているようなものである。

形が変わる過程を、時空を超えて前からみれば破壊であるが、後から見れば生成の過程である。現代社会が崩壊するように見えるのは、形が変わる過程である。古いものは壊れて新しいものが作られる。古い皮膚が剥がれるのは、新しい皮膚が下に生成されるからである。無限に生成を繰り返しているから、破壊はない。常に、形は保たれる。生成のはたらきが乱れれば、皮膚病という形の異常が現われる。生成が止まれば、破壊が進み、そのまま何も無くなる。無から作り出す神は困らない。困るのは作り出せない人間である。困るから、壊さないようにする。『大切にしよう』『節約しよう』と宣伝する。そして、強制する。破壊者は悪人となり、無駄遣いは悪いことになる。法律で禁止されて犯罪となる。しかし、自ら生成できない者が、自らの破壊を避けようとしても、すべては劣化して、いずれ崩壊するのである。元つ天地の大神は、真釣り外しの悪にはいつまでも天恵を渡さない。真釣り外しを続ければ情けが増えていくだけで、最後は、情け100%=花 0%、即ち、魔釣りの世の生は無くなる。草薙の剣=真コトを渡すということは、魔釣りのアヤマ知で作ったものは、すべて使えなくなるということである。お金や機械は言うに及ばず、政治、経済、文化、宗教、思想、哲学も含めた「身欲を基に持つすべて」である。元つ真釣りの世にはない、お金の収支が基の「商」の響きのシステムはすべて崩壊する。お金を神とした世界は、金融、経済、商品価値、儲け、賠償金、支援金、被害額、寄付等々、すべてをお金に換算し、収支決算、予算、負債、資本等々、すべてをお金の足し引きで分析し、経済成長、メリット等々、すべての思考をお金に帰結させる。人=お金であり、お金を損得の基準にして人の操作をする、即ち、収支と貯蓄と保険(支出と負債と掛金)の三位一体、物・金・人の三位一体、衣食住を商品に委ねるお金の世では、金の量が国家像や各自の存在の姿を決める。快欲を追い求め、形を変えるだけの魔釣りのアヤマ知の物質文明に依存し続けている「現代社会」にどんな運命が待っているのか、よく考えてみることである。
P167
現代社会の運命。それは、いうまでもなく、社会という、あなたが所属する共同体でのあなた自身の運命である。他人や世界の問題ではない。あなたの問題である。真釣りが戻って滅びる運命の魔コトの文明にすべてを依存しているなら、魔釣りを祓う仕組みに自ら進んで足を踏み入れていることになるから、どんな事態になろうと、すべてあなた自身の選んだ結果である。元つ真釣りの大神を闇に葬って、魔釣りの世界で好き放題をして、教えても身欲に囚われて無視し続けて、最後に気づいて改心しても、後のまつりである。ミロク世に生きたいなら『そんなことはありえない』というフレーズは、封印しなければならない。真釣りの世から見れば、現代社会がありえない現実(顕現した実体)である。すべては逆さまであるから、真釣りの真コトの響きがこの世に形になったら、真コトの花(正花)だけになり、魔コトの花(悪花、仇花)は、すべて枯れ尽くし、土に戻る。魔釣りのアヤマ知で作った世界は、神の世界も人の世界も、すべてが真釣りの真コトによって闇に葬られる。善も悪も同じことであり、真釣りの真コトに戻らない者は、すべて消滅する。元の真釣りの天国に戻れば、一瞬にしてすべてがひっくり返り、魔釣りの世界は、跡形も無く消滅する。水をダムにためても、雨が降らなければすべて干上がってしまうのである。


【実践・日本真道】 長谷 章宏 著 (P229〜232)より

P229
平等とは、全く同じ扱いをすることではない。男女平等参画社会というのは、元の父の火を消した世界の形だけの平等である。火と水には歴然としたハタラキの違いがある。火は、何があってもすべてを支える命の源、父の役であり、水は、母の役であり、子が育つのを楽しみに、自らの清きを穢されても、言挙げ(反論、言い訳、愚痴)もせず、どんな器にも従い、すべてを現す型示しである。火と水(支える父と現す母)が、本来の役目をきちんと果たして正しく和せば、子は問題なく育つ。親子が友達になり、母が父をないがしろにすれば、家庭は乱れる。スメラが父、ユダヤが母、世界が子と置き換えれば、現代社会の乱れの原因はここに帰結する。親子(男女、神人)関係の区別タテ分けがいい加減になれば、世は乱れるのである。ハタラキを間違えば、世界は破滅に向かって歩みを進めることになる。形の平等を進め、水が火を従えようとすれば、世界丸ごと滅ぶ結末となるのである。これは、神仕組みであり、差別ではない。ハタラキが違うものをごちゃ混ぜにし、水が火の役を奪っても結局は火の役はできない。支える父の火の御役と現す母の御役では苦労の度合いが違う。偉い偉くないの話ではない。ヒノモトは、地球世界を背負う、支える父の役である。その父が苦労を逃げれば、母子家庭となった地球世界は混乱の末に崩壊するのである。女性が長生きなのはなぜか。それは、支える火が消えて水が水を支配する世界になっているからである。支えと支配は違う。区別タテ分けしないことを不平等と言う。
P230
権利と義務の思想は、幽界の霊が物理体で考え出した、支配するための仕組みである。それに囚われれば、全く正反対の世界を生み出す結果となる。男女が平等だというならば、火と水の働きが、神と人が、神界と現界が、天と地が、同権だということになる。水が火の役を奪っても、現界が神界のフリをしても、それは世を乱すだけである。ハタラキが違うがゆえに世が丸く収まるのである。『男尊女卑が世を乱したから平等にすれば世がよくなる』というのは詭弁である。真釣り外して、火と水のハタラキの意味を取り違えた男尊女卑そのものが、すでに、間違いであり、男尊女卑に対する「女」の報復の意味が込められた男女平等思想を正しい姿だと主張しても、結局は、どちらも、元つ火を消した水の中(形の世界)の火と水の主権争いの思想に過ぎない。男尊女卑を差別だと断罪して、男女平等を唱えても、どちらも真釣り和す世を作ることはできない。どちらが偉いかではなく、ハタラキが違うのである。支配権争いの響きである限り、どちらで世を作っても、結局は、平和や自由の実現などできるはずが無い。神と人、親と子、火と水、世のハタラキの真実を取り違え、人が神を、子が親を、水が火を、女が男を、金が神をないがしろにすれば、世は乱れ、争い、自ら滅びる。元つ真釣りの真コトを闇に葬った、火水が逆さまの世界は、最後には永遠の闇に消え去る。地が内から守護し、天が外から守護する。五分と五分で真釣り合っているのが、正神真神の掟である。平面の横並びの、天秤の釣り合いのことではない。男と女、親と子、火と水、神と人、苦労の度合いに差があるのは必然であり、火の支えがあるゆえに、水が安心して生きることができるのである。平等では天国はできない。

なぜ、男と女が存在するのか。男と女、+と−、陰陽組み組んで、新たな男か女=火の働きか水の働き(を持つ子供、現実)が生まれるのである。火土水が真釣り合って新たな火土水が生まれる。瞳に映るものはすべて神の顕現であり、火の働きと水の働きの何れかを持つ。それぞれのハタラキをまっとうして、初めて世が治まる。真釣り外した世では、善の働きと悪の働きが現れる。しかし、ハタラキに善悪はなく、結ぶ土に曇りがあるだけである。土が曇っているから、やることなすこと善悪に分かれてしまうのである。善を好み、悪を嫌うその心が、悪のハタラキを表に出した真の原因である。悪が悪なのではなく、悪を裁くあなたの心がその悪を産んだ本当の源である。悪を滅ぼしたいと言うならば、それは、自らの抹殺を意味する。あなたが平気で悪を抹殺できるならば、真釣りの掟を破っていることはもはや明白であり、元つ神仕組みを綺麗に忘れて、手前勝手な天国を作ろうとしていることになる。真釣りを外せば滅ぶのが、元つ神仕組みである。男女平等、友達親子、友好親善云々に囚われれば、それを唱える世もろとも、あなた自身が滅ぶことになる。
P231
神仕組みを知らずとも、今の世でも男と女(火と水、神と人、霊と体、父と母)のハタラキの違いは明白である。父と母が平等を主張するだけでも世が乱れる原因となるのに、母が父を足蹴にし、子が親を無き者にして好き放題に振舞う社会は、人が神を、世界が日本を、水が火をないがしろにする世界であり、世が混乱するのは当然の結果である。本当の天国を生きたいならば、世のため、国のため、家族のため、人のため、神のため、を語る前に、まずは、自らの足元、自分自身の生き様を本当に正直にとことんから見直す必要がある。人のことをアレコレ言う前に、まずは、自らの生き様を正すことが先である。あなたは、本当に恥ずかしくない生き様をしているのだろうか。本当に清く正しく生きているのだろうか。他人を裁き、不平不満を言い、愚痴を言い、平気で嘘を付き、自らのしたことの言い訳をし、他人のしたことを責める。そんな生き方が当たり前の現代社会で、天地の理法に沿った生き様を貫くのは難儀なことではある。しかし、本当に誰もが自由で平和な世を作るためには、みんなが好き放題に生きていることで世が乱れているという現実を素直に認め、今までの自らの生き様を見直し、心底から改心することが不可欠なのである。

あなたが綺麗サッパリ忘れ去っていた本来のハタラキを思い出して欲しい。火の支えるハタラキと水の現すハタラキを区別タテ分けして、天地の理法に則った生き様を実践することが、本当に平和な世を作る礎となるのである。現代社会は、人が神を敬い、母が父を尊び、子が親を信頼する、そんな生き方は古臭いものとして、遥か遠くの闇の彼方に捨て去ってしまっている。しかし、それが、本当の天国をこの世に実現するための生き様であり、本当の「人」としての道なのである。それを『両者は平等であり、差別は許せない。』などというアヤマ知の教えに嵌まって、上下のない世界を作った挙句が、今の社会の乱れである。それが正しい姿だというなら、単に、形の違いがあるだけに過ぎなくなり、神も人も混ぜこぜの世界が正しい世界だと言っているのと同じことになる。それでは、神が人を支えても、人が神を支えても、どちらでも同じ世界ができるということになってしまう。すべては色の乱れから始まる。これを「男女関係」や「愛情」のことだと取り違いをしているならば、世の乱れは加速する。色はイロであり、イロハ、つまり、物事の基本の始めのことであり、世のあり方、生き様の基が乱れていることを意味している。色は、また、形のことであり、形(水)の現れの世界ですべてのすべてを思考し、形を治そうとアレコレと屁理屈をこねて世を引っ掻き回すことで、結局は、世の乱れを増幅させているのである。

神と人が同じハタラキをしているというならば、それを証明して見せてもらいたい。あなたが無から何かを産み出せるというのだろうか。自らの命を自らで生かせない者が、万象万物の営みを司ることなど出来るわけが無い。親があって子があるのであり、神があって人があるのである。神と人が平等であると言うならば、それは、神無き世であることを意味し、それを基にして世を進めれば、すべてが乱れる。ましてや、人が神を、女が男を、科学が宗教を従える世であるならば、それは、真逆さまの世である証となる。真逆さまの世は、すべてが崩壊に向かう世であり、その結末は破滅に至る。そのままなら、すべてのすべてが無に帰す。本当の神を闇に葬った現代社会は、究極の闇の世界であることは疑う余地もない。闇の世の向かう先は更なる闇である。本当の、人の道を外した世界なのである。先に生まれた者が後に生まれた者を支え、後に生まれた者は先に生まれた者に従う。それが、神と人が真釣り合った、天地の理法に従った生き方である。真釣り合って生きれば、世は乱れることはない。先に生まれた者が後に生まれた者を支配し、後に生まれた者が先に生まれた者に言挙げする。現代社会が、天地の理法を破った世界、真コトの生き方とは、真逆さまの世となっていることは、議論の余地は無い。今のままの生き方で世を進めても、永遠の天国どころか、すべてのすべてが水の泡と消える運命が待っている。真釣りの生き方に戻らないならば、あなたは永遠の滅びの世界へと歩を進めていくことになる。
P232
それぞれがそれぞれの役割をキッチリ果たして、初めて、平和な世界が作れるのである。全くアベコベの世界にした者たちが、大元の取り違いに気づかずに、天秤の釣り合いを世界の目標にしても天国にはならない。形の世界で平等を語り、あれこれと仕組みを考え出して右往左往しても、ますます世を乱して、自らの清算の苦しみを増やすだけのことでしかない。子が親を殺し、女が男を操る。外国が日本を殺し、蛇が竜を操る。逆さまである。誰かが誰かを力で封じ込めたり、操ったり、無理やり強制しなければ実現しない思想ならば、それは、全く中身のない戯言である。税金を増やして国を立て直すために児童手当を拡充して子供を産ませる。金で国を操る現代社会には現代社会を天国にする方法はない。正神真神の真釣りの掟通りにしない限り、人類が望んでいる本当の天国は絶対にできない。


【実践・日本真道】 長谷 章宏 著 (P215〜217)より

P215
「この世(人間界)」と呼ぶ世界は、物理体(五感)で認識できる世界を現実としている霊の集団が創る物理界のことである。最低位の霊が、自らが住めるように、自らが操作可能な材料で創った世界で、相互に依存(干渉)し合うシステムをその内に持つ。しかし、実際には、霊界は一つの世界であり、「物理界」という実体は存在しない。幽界霊の作り出す世界を分類した場合の呼び名に過ぎない。現存する物理界は霊界のうちで最も自由のない世界になっているが、その物理界の中にさらに様々な「界」を作り出し、その世界の相互依存で成り立つのが「現代社会」である。物理界の法則は、より高位の霊には通用しない。

霊界なくしては、その映しである現界は存在しない。霊界があって初めて現界が存在する。現界の物理体そのものを、他の霊界に移すことはできない。物理体で操作できない別次元に霊が移ることで、その次元の組成で構成された体に入り、その霊界が現実の体験となる現象を物理界で「死」と呼んでいるだけであって、移った霊界では「生」が現実となる。ミロクの体に入ればミロクの民となるが、ミロクの世は、真釣りの世であるから、霊が真釣りの響きに戻っていなければ、ミロクの体でミロクの世の現実を体験することはできない。あなたが真釣り戻しをしなければならないのは、三千世界がすべてミロクの世に戻るからである。あなたが魔釣りのままならば、あなたの生きる場所はどこにもなくなる。

元つ大神が情けをかけたのは、あなたをミロクの天国に生かしてあげたいという親心からである。本来ならば、真釣りを外した霊は自然淘汰の滅びであり、今ここには存在しない霊である。その霊が生み出す現代社会も実際には存在しない世界である。あなたが魔釣りのまま生き続けるというならば、最後に天地の掟通りに滅んでも、あなたには訴える資格はない。そんなあなたを真釣りに生かすために「情けと花の仕組み」を構えるご苦労は、慙愧慟哭の艱難辛苦の修羅の地獄の苦しみ以上の厳しいものである。大神がそれほどのご苦労をされてまで、天地の理法を破った我が子をミロクに迎えようとする親心、神意を汲み取り、真釣り外して好き放題に天地を荒らしてきたことに対する本当に心底からのお詫びと、あなたを真釣りに戻すご苦労をして頂いたことへの本当の感謝をもって、どんなに厳しい試練、ご苦労にも耐えて真釣りに戻すことが大神への恩返しであり、天地自然の掟を破ったことへの罪滅ぼしとなる。あなたは大神の情けなくして命は無い存在なのである。

「死の恐れ」は、真釣りを外して、霊界の真実を忘れ去った霊が産み出す幻である。死の恐れを持っているから、アメとムチで操ることができるのである。あなたが真釣りを外したことが、騙された原因であり、あなたが今世でどんな体験をしていようと、すべて、自らの不手際がもたらした自業自得の現実なのである。あなたの現実の責任はあなた以外にはどこにもないのである。心は、他の霊界の姿を映す。脳は、霊が物理体を操作するための中継伝達器官であって、霊の持つプログラムが物理体というロボットを動かすためのコンピューターである。二極分裂である脳が「永遠無限」を創造する心を作ることは絶対にできない。霊が『脳が心を創る』と思えば、脳に心があるという現実を体験し、その世界で心の存在を探すことになる。霊の同意なしにはその霊の物理体を動かすことはできない。
P216
物理体から霊界を想像することはできるが、物理界が霊界を創り出すことはできない。物理界の現実は、霊が物理体に入ることで体験する現象だからである。従って、物理体に現われた傷病や物理界の不都合は、物理体自体には原因はない。その治癒(解決)には、物理界の中(形)だけの修繕を繰り返してもその目的は達成できない。霊が自らを殺そうとすれば、戦争界を産み出す。物理界で言う「命」とは、物理体の有無を指す言葉でしかなく、その有無は本当の命の消滅とは関係しない。形の生命保存の社会システムがある限り、物理界での戦争は消えない。法律で「殺人」を禁止しても、それがなくなることはない。

『死者に冥福を祈る』という行為は、物理体をもった霊が、物理体を離れた霊よりも上位の霊界にいると思い込んでいることに起因する。実際には、物理界は、最も不自由な体験をする最下層霊界であるから、その実体はアベコベである。あの世から見た人間(箱に入った不自由な霊、死者)が、この世から見た霊(箱から出た自由な霊、生者)に戻るのがこの世で言う「死」である。あの世から見たら「誕生」であり、あの世で言えば、この世に産まれることが「死(私=利己主義、子=霊が親)」なのである。誕生と死、行きと帰りがアベコベとなる。どの視点から見るか、の違いであるが、真実を知るなら、立体の上下左右(平面の対立)ではなく、あの世とこの世という、肉体(箱)の出入りを伴う「立体の立体(立立体)」の行き来の話となる。逆さまの生き方をして、この世(箱、霊の器)とあの世(中身、霊の命)の関係が分からなくなった結果、本当の死の世界を聖なる世界、本当の生の世界を穢れた冥土と思い込んで、『死んでいる者が生き戻った者を哀れみ、冥土の幸せを願う』という、よく考えてみればおかしなことが当たり前の如くできるのである。

『人間が墓参りをしてくれなければ自分は成仏しない』と言っている霊は、何ともおかしな霊である。それは、人間界でのビジネスの取り引きと同じ論理であり、非物理霊(大人)が物理霊(子ども)相手に我がままを言っている幼稚な戯れに過ぎないが、物理体の霊に自らの欲望を満たさせるというのは、動物霊以下の行為である。慈悲、罪悪感などをもっていると、このような霊につけこまれ、自らの霊力を自らで殺すことになる。霊界は自己責任の世界である。操られたとしても、それは、自らの取り違いのゆえであり、誰のせいでもありえない。霊能者に霊を祓ってもらっても、それは、その霊能者と憑依霊の戦いであって、お祓いを要求した本人には意味がない。人間界で例えれば、強い人間を連れてきて、自分をいじめる者を排除させようとしているのと同じであり、力の無い者が力のある者の自尊心を操って、楽して危険を回避しようとする茶番である。それは、自分自身の力で戦ったことにはならない。誰も助けてくれなければ、自分の力で排除することになるが、自分の力で戦ったことがない者は、為す術もなく殺される。誰かに自分の代わりに何かを訓練させても、それは、その誰かの能力が向上するだけであって、自分の能力は向上できない。誰かに毒見をさせたとしても、自分の毒死の危険は去ってはいない。自らが自らですべてをやらない限りは、依存していたものがすべて消えたときに、何もできなくなる。


【実践・日本真道】 長谷 章宏 著 (P85〜88)より

P85
あなたはこの本を書くための苦労はいらない。それは著者の役目であり、あなたは、この本を使って自らの真コトを磨き出すだけでよい。つまり、この本を読んでいるあなたは、大神の毛の先のそのまた先の先々の苦労どころか、そのご苦労を辛抱してきた著者の苦労の毛の先の先々ほどのご苦労に堪えればミロクが約束されるのである。しかし、そのご苦労でさえ、今のあなたにとっては、慙愧慟哭、修羅の地獄のそのまた地獄の苦しみかもしれない。もしそうだとしても、あなたが元のミロクに帰るためには越えなければならないご苦労なのである。なぜなら、神法違反をしたのは自分であり、自分が真釣りに戻すしかミロクに帰る手立てはないのである。あなたをミロクに連れて行ってくれる救世主はどこにもいない。あなたが真釣り戻せば、大神が助け舟を出すだけである。今世の魔釣りの宗教の神仏、思想に固執している限り、あなたは、本当に、永遠のイノチを失うことになる。

著者は、自らのモデルを探してもそれは叶わず、真コトと思って入った道も、一厘の違いで真コトではないことに気づくという繰り返しを生きてきた。終ったと思っても終わらず、真コトと思っても真コトではなく、自らがそのモデルであることを認めるまで、本当に苦しい道のりだった。つまり、著者は、この道に入って以来、自ら以外に外に頼れるものはなかったのである。あなたがどんな苦労をしていようとも、それは、魔釣りの世界の常識で言う苦労であり、真釣りを外し続けて、自らの真釣り戻しの苦労を増やすだけの「苦業」である。自らの苦労話をして他人の同情を引こうとしても、それは、真釣り外しであるから、大神から見れば、大掃除の手間を増やすだけの、神をも恐れぬ所業である。この世の、今この時の些細なご苦労で愚痴や不平不満を垂れ流し、自らを守るためにツベコベと御託をならべ、アレコレと逃げる算段を画策しているようでは、あなたにはミロクは全く関係のない世となる。今の災害や苦難に耐えられないようでは、一度で一気に世を祓い清める「時空生死を超えた大掃除」にはとても耐えられない。たとえ、最後の大祓いまでに、真釣り戻しを終えることができなくても、今からでも、少しでも真釣り戻しをしておくことが、最後の大掃除の自らのご苦労を減らす術である。百歩譲って、今まで好き放題に生きてきたとしても、真釣りがあることを思い出し、真コトの道に帰ることを決めただけでも、とてつもない厳しい試練があるにせよ、ミロクに帰る機会は、まだ消えていない。

著者は、恐怖を煽っているわけでも、脅しているわけでも、宗教の勧誘をしているわけでもない。あなたが現代社会の正体と身魂の現状を自覚して、真釣りに戻れるように、真コトの真釣りが世の神法であることをお伝えしているだけである。余計なお世話だと言うならば、それはそれで構わないが、どんなに苦しくても、不可能に見えても、あなたの改心次第で、必ずミロクに帰ることができる。現代社会の日本国が描く未来に夢を託すのもよいが、この本から、真釣りの真コト、本当の自分の正体、現代社会の闇の闇の真相を汲み取って欲しい。あなたが、この世で、今ここで本当にすべきことは、真釣り戻しのみである。天地創世の真釣りの元つ大神直々の、生死も、時空も超えた、万古末代一度こっきりの、死んでも死んでも続く、祓い清めである。神や仏ですらどこにも逃げられない大祓いであるということをよくよくハラに据えて、永遠の天国に戻るために、頑張って欲しい。
P86
あなたが同調している神によって、あなたの体験する現実が決まる。それは、あなたが自らの霊線をその神の支配する霊界に繋いでいるからである。開運厄除、学業成就、縁結び、家内安全、夫婦和合、商売繁盛、交通安全、病気平癒、不老長寿、金運向上、方位除け、ボケ封じ、悪霊祓い、厄祓い、五穀豊穣、国家安泰、地鎮祭、御霊清めの儀式等々、祈願や法要、神事、仏事はすべて魔釣りの世の生き残りのための他力本願である。真釣り外した自らに苦がこないように、『俺が天国を体験し続けられるように災いを封じろ』と神や仏、霊界の先祖に命じている。たとえ呪ったとしても、霊線が繋がっていなければ、呪い殺すことはできず、渡した呪いが自らにそのまま戻る。人同士の場合でも仕組みは同じである。あなたは真釣り外しの責任を取っていない。自分が責任を取るならば、神社もお寺も教会も必要がない。獣の世では、本当の意味であなたを助けることができる者(神、仏)は一人もいない。いるというならば、それは相互依存のあなたと同じ響きの形だけの救済ゲームの相手と想念が繋がっていることを意味する。今のままなら騙されても文句は言えない。

苦を避ける、災いを避ける、というのは、真釣り外しのお知らせを拒否する(真釣り外しをして楽を得る)響きであるから、それを続けるほど、逆に、災いを自ら呼び込んでいることになる。実際は、災難除け=災難招来祈願である。真釣りに生きる者には災いはないから、「災いを避ける」という思考はない。厄除け等々の災難除け祈願をするならば、それは真釣りを外した証しであり、真釣り戻しの意志がないことを意味する。あなたが避けている苦(実は真釣り外しのお知らせの情け)はあなたの違反ゆえの型示しであり、それを渡すのは元つ真釣りの大神であるから、あなたが厄除けをするならば、それは、元つ大神を祓おうとしていることになる。あなたに訪れる災いの源は自らであるから、結局は、自分が自分に自分を殺してくれるように頼んでいることになる。すべての災難除け(招福)祈願は、真釣り外したお知らせの苦を逆恨みした冤罪である。厄祓いするなら、福祓いもしなければ、偏ってしまう。厄も福もあなたの分かつ知の作る幻想であり、自らの分かつ知が作り出す幻想を使って、真釣り戻しを知らせる本当の福の神と対峙するならば、死神であるあなたの負けである。あなたは絶対に勝てない試合をしている。最後の相手は元つ真釣りの大神であるから、あなたの希望通りに厄の神であるあなたが祓われる。元つ真釣りの大神の情けを逆恨みしていた集団の作り出した冤罪は最後に晴らされるのである。魔釣り世の宗教は、すべてのすべてが同じ仕組みであるから、いつまで信心しても本当の天国は来ないばかりか、最後は、あなたに訪れる苦(悪、厄)の真の源である自分が消える。
P87
あなたが自らで自らを生かしているならば、神仏に祈るという行為はしない。神社に参詣して何かを祈願するという行為は、自らができないことを誰かにさせるのと同じである。その対象が神仏ならば、参拝(参詣)と呼び、人間ならば、依頼と呼ぶ。神仏も人間も、自らの心の内では同じ世界に共存し、神仏とか人間とかのイメージ映像の違いに過ぎない。神に祈っている、他人に頼んでいる、と分類しているだけである。どちらも、やっていることは同じである。有力政治家のご機嫌伺いをすることを『○○詣で』というが、それは何を意味しているのか。『神に祈れば天国に行ける』と決めているのはあなたであり、あなたがその神の神であることになる。あなたが『神に祈らなければ天国には行けない』と言っているならば、あなたは天国には行けない。なぜなら、あなたという神がそう言っているからである。宗教を信仰するならば、それは、その世界が箱の中であることを意味する。それは、あなたが作った箱であり、その中の「神」はあなたが作った神である。あなたが宗教を信仰するならば、この世の人間よりも力がある「見えない存在」に自分を預けたことになる。この世の宗教は、魔釣りの世の身欲を満たすための信仰であって、それをすればするほど魔釣りを呼び込むだけで、望みとは正反対の現実の実現を望んでいることになる。結局は、すべての現実は、言い換えれば、現代社会のシステムは、真中に真コトを持った「神」である自らが生み出した現実であるから、真釣り外した神同士の独演会に過ぎない。

ご利益祈願、加持祈祷、お祓い、お守り、オフダでは、本当の天国を実現することはできない。魔釣りの宗教を信仰すればするほど、真釣り外し続けることになるからである。無神論というのは『神はいない』という神が語る論理である。『自分以外の神はいない』つまり、自分が神であると言っているのであるから、神はいるのである。無神論は自分が神であることを語る有神論である。もし、自分は神ではない、と言うならば、神はいない、と言っている自分は神ではないことになる。神ではない者が、神がいるかいないかの議論をしている。神とはどんな存在か、の定義ができないならば、神がいるかいないかの議論はできない。議論ができるならば、自分の内に神がいることになるから、有神論である。結局は、有神論も無神論も神の有無について議論しているのであるから、有神論しかないのである。有神論ならば、神に依存していることになり、無神論ならば、「神」がなくてもすべてできると思っていることになる。「有神論」ならば神がいる。無神論ならば神はいるがそれを否定している自分にはすべてできない。有神論と無神論を議論している自分が神であるから、有神論しかない。有神論しかなければ、神しかいない。この世は神の世である。

魔釣りの宗教の言う、輪廻転生や死後の世界の話は、魔釣りの中の現実であって、真釣りの世にはそんなものは存在しない。「死」が本当の死でなければ、葬式のしきたりも、強制力はない。自らの大元である神界を闇に葬って穢れた冥土と思い込み、穢れが自らに来ないようにする(この世の「神聖さ」を保って生き残って快楽を得る)ための自己保身の儀式が、葬儀や法要、読経である。その実態は、この世で生きている者同士の生き延びるための穢れ祓いゲームに過ぎない。この響きで神話を読めば、黄泉の国は穢土となり、イザナミは醜い神となる。それを真実だと思っていれば、死の呪縛から抜けられず、アメとムチで操られて右往左往する無間地獄を生き続けることになる。この世という境界のない世界を善悪に分けて、争い、裁き合う現実が永遠に続く。天国を作ろうとするほど、地獄が形になり、最後は滅びの世に至る。その他の宗教も、姿形が違うだけで、すべて同じ思想の中にあり、そこには神も仏も死者も先祖もいない。「情けと花」の最も大きい型示しが「死と誕生」であり、真釣りを外したがゆえに、その仕組みの中で死と生を繰り返す「輪廻転生」という幻想を生み出してしまったのである。初めにいた神世は生き通しであるから、真釣り外したお知らせは、情けの死である。つまり、元の初めの世から見れば、箱(岩戸)に入った「有限(寿命のある、劣化する、崩壊が見える)」世界である今の世(この世)こそ「死後」の世界であり、今世の言う死後の世界(あの世)は、この世から生き返った世界になるが、真釣りから見れば、この世の人間が恐れている死は、大きな意味での死後の世界の中の生の世界を移動する(引っ越す)だけのことになる。生きていても死んでいても同じことで、すべてを真釣り戻すことで初めて、元にいた神世に永遠に生き返るのである。そこが本当の天国であり、ミロクの世である。真釣りしかない、永遠に続く天国である。


         長谷章宏.NET  実践・日本真道

posted by oct49 at 22:23| 京都 ☀| 宗教/教育/社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月24日

*混迷の日本そして世界 真日本再生への道しるべ

*リンク記事

       今まさに、歴史上かつてない激動の時代。。。

 
 初めて出版した拙著『人生というゲームの新しい遊び方(たま出版)』のカバーコピーです。あれから23年、果たして時代は、日本は、そして世界はどうなったでしょうか。


 トランプ政権誕生と保護主義や民族主義の復活、宗教宗派対立に絡むテロの続発、イスラム難民問題、移民対策、民族対立、北朝鮮の核実験とミサイル発射、金正男氏暗殺、韓国大統領の罷免、中国の海洋進出、英国のEU離脱、TPP等の貿易問題、LGBT等の人権問題、財政赤字や貧富の格差の拡大、大規模地震や洪水、噴火、津波等の自然災害の頻発、原発再稼働、被災者支援、沖縄基地問題、エネルギー問題、地球温暖化対策、集団的自衛権、憲法改正論議、テロ等準備罪の是非、死刑廃止論議、個人情報保護、機密情報の漏洩、東京五輪、民泊、地方再生、天皇の生前退位、喫煙防止法論議、豊洲市場問題、森友学園問題、官僚の天下り、アベノミクスの功罪、カジノ法とギャンブル依存、スマホ依存、薬物汚染、非正規雇用の増加、ブラック企業、長時間労働と過労死、教育制度改革、少子高齢化の加速、少年法改正論議、待機児童問題、死生観の変化と火葬場不足、安楽死の是非、理解を超えた無差別殺人、自殺、うつ、難病、遺伝子操作、再生医療、食の安全、介護、年金、生活保護問題、教師や警察官の不祥事、いじめや虐待の深刻化等々。

 数え挙げればキリがありませんが、地球規模で解決すべき問題や対応すべき課題が、解決するどころか雪だるま式に膨れ上がり、まさに、頂上が見えないほどに山積しています。続きを読む
posted by oct49 at 12:36| 京都 ☁| 宗教/教育/社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

「人類の歴史を進めた力学」は天地創世から現代社会まで一切変わっていない。

現代社会は、分裂の響きが形になった極致である。宗教同士の対立に加えて、各宗教内でも分派や派閥の争いがあり、世界統一は一筋縄ではいかない。

ギリシャ正教、ロシア正教、英国国教会等の各宗教の分派も含めて、カトリックとプロテスタントが対立するキリスト教とイスラムを中心とする外国(西洋)の宗教は、三大宗教のいずれかに分類される。従って、現代社会のすべての局面において、その宗教の本質である神と悪魔、正義と悪の二極対立の構図が現れることになる。科学というのも、形の現われの解釈という手法で、神が源である物質世界を語る宗教であり、共産主義や社会主義も、あえて言えば、神を認めない神の思想である唯物論にその基礎を置いた宗教と言える。結局は、すべての宗教と科学を突き詰めれば、最後には「神の領域」に踏み込むことになり、神についての議論となる。

人類の歴史は、表面上は膨大な出来事が積み重なっているが、その根底にある「人類の歴史を進めた力学」は、天地創世から現代社会まで一切変わっていないのである。

東洋を見れば、曼茶羅の中心に座す大日如来を宇宙創造仏とする仏教は、ブラフマンを宇宙創造の源とするヒンズーの流れを汲む。アメノミナカヌシを宇宙創造主とする今の日本神道も結局は、天照大神を最高神とする一神教である。その他、各民族の土着の宗教も、それぞれの最高神を祀る一神教である。自然崇拝等の多神教であっても、自然や神々を産み出した源の力を神とする一神教と言えるから、結局は、人類の歴史を通した争いは、一神教の神同士の争いに帰結する。

一神教の神同士が争うという矛盾を解決するためには、それぞれの唯一神を束ねる唯一神の登場が必要であるが、しかし、実際は、その唯一神もまた、唯一神ではないのである。そしてもし、世界をすべて束ねる唯一神の存在を認めると、それは、今まで世界を牛耳ってきた勢力にとっては、自らの作ってきた世界を一瞬のうちに闇に葬ってしまう、自らが信仰する神と自ら自身の存亡に関わる危険思想となり、現代社会のすべての営みが成り立たなくなるという現実を突きつけられる事態に直面する。これは、一人一人にとっても、自らの拠り所をすべて失う一大事であり、本当の唯一神が現れたとなれば、今の自分の存亡だけを目的に、たとえ本物であったとしても闇に葬る必要があると考える。

それが自らの命の源を抹殺することになる愚かな行為とも知らずに。
posted by oct49 at 10:30| 京都 ☁| 宗教/教育/社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月28日

問題は元々どこにも存在しない。

神法に違反して天国を壊した世界で作ったもので何をしようと本当の天国には帰れない。ますます、違反が進み、学校が乱れ、刑務所が意味をなさなくなり、神のご利益がなくなり、結局は、その世界は、混沌、混乱、混迷、問題だらけの世界になる。

現代社会でいう「問題」を「解決」するためには、問題を生み出した本当の原因を消去しなければならない。自らがその原因を持っていれば、問題の解決と同時に、自らが消去されることになる。今のままで社会をどう改革しようとも、新たな問題を産み続けた末に、自己崩壊の結末が待っているだけである。

真釣り外しの世自体が悪であり、何の目的でそれを続けているのか、その世界の中で善と悪の潰し合いを続けても、全く意味がない。魔釣りのアヤマ知を捨て、自らの生き様を真釣りに戻さない限り、幻想の善と悪は共に滅ぶ。

元つ真釣りの天国には、何の問題もないから、秩序しかない。秩序の維持という思想は、言うなれば、天地の掟を破った悪神が自らの支配する世の維持を図って大神を封じるための策略であり、その企みは絶対に成就しない。

どんなに悪あがきをしようとも、悪神が創った世界は、必ず滅びる。

『神が許しているから裁いてもよいのだ』というのは、「許しているものを禁じる」という矛盾を封印して、自らの生き残りを図るために邪魔者を消す行為を続けるための詭弁である。この世で存在が許されているものを殺すという思想を持つ者、言い換えれば、犯罪者(悪人、この世でいう悪魔)を裁いている裁判官とそれに同調している者(善人、この世でいう神)がどんな運命を辿るのか(自らがいったい何をしているのか)をよく考えてみて欲しい。

真釣りという神法に違反したことがすべての問題を生み出した根源であり、問題は元々どこにも存在しない。つまり、「問題解決」という概念自体が幻想であり、源が魔釣りである以上は、問題が解決されることは絶対にありえない。
posted by oct49 at 23:54| 京都 ☁| 宗教/教育/社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月22日

あなたが鼻をつまむ汚物は、自分自身である。

現代社会にあるすべての問題の根源は、自分自身の響きである。全員が魔釣りを真実と錯覚していれば、アヤマ知が常識となり、それを破壊する真釣りの真コトを避け続ける。すべては逆さまであるから、まずは、自らが産んだウン子とオシッ子の処理をすべきである。あなたが鼻をつまむ汚物は、自分自身である。自らが垂れ流した糞尿(不都合、苦)に、自らがまみれることを避けないことである。自ら産んだ苦を引き取ることである。その覚悟が出来て、初めて真釣り戻しが出来る。「何の罪もない者」や「何の落ち度もない者」は一人もいない。まずは、この事実を身に止めて(認めて)、嘘を奇麗サッパリ掃除して心を入れ替えることである。アヤマ知を捨てて、素直に真コトの言う通りにすることである。
posted by oct49 at 06:54| 京都 | 宗教/教育/社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
プロフィール
名前:長谷章宏
職業:トータルライフコンサルタント
ウェブサイトURL:http://tlchaoffice.blog85.fc2.com/