2011年03月26日

自由で平和な世では、自由、平和という定義はいらない。

選挙制度は多数決であり、少数意見は反映されない、悪平等のシステムである。それが必要悪だというならば、国家支配権争奪戦、政権争いという思想戦争は永遠に終わらない。魔釣りの響きのアヤマ知の二極分裂の世界での全員一致した思想は『戦い』であるから、絶対的善悪の立場に分かれた全員が平和に暮らせる社会は実現できない。全員が平和に暮らし、形の上での戦争も現れない世界ならば、テロも反戦も口にすることはない。戦争か平和か、と言っても、結局は、両方とも戦いである。平和を守る戦い、自由を守る戦い、幸せを守る戦い、である。相互依存の世界では、戦わずして安定はない。安全は勝ち取ったものであるから、守る必要が生じる。しかし、戦っているなら、永遠の安全はなく、戦いを有利に進めるために、(自分が主導権を取るために)戦略本部が必要となる。世の黒幕の親分は、自らが天国に成ろうとすると滅びるという矛盾に気づいていない。自由で平和な世では、自由も平和も当たり前であるから、自由、平和という定義はいらない。対立概念がないから選挙戦もできない。戦いがないから戦争もない。天国には天国しかない。

現代社会は『義務を果たさない者は、権利を行使できない』という思想が根底にある。法律で義務化すれば、違反者は処罰されることになる。棄権は、白紙委任とみなし、棄権した限りは、文句は言わせない。投票するか、投票しないで服従するか、の選択である。議会民主制自体が魔釣りのシステムであり、政権争奪戦をしている限り、どの政党に投票しようと、真釣りの政治はできない。今世は、全員が魔釣りであるから、真釣りの政治家は選択できない仕組みである。実際は、真釣りの政治家には、選挙システムは意味がなく、選挙で政治家を選ぶ必要がない。魔釣り世での真釣りの者の意思は棄権という行動になる。表面に現れた「棄権」という行動は同じだが、それは、反抗心からでも、無関心だからでもない。政治に関心はあるが、逆さまの世の政治家には実現不可能だから、投票というゲームに参加しないだけのことである。真釣りの者が魔釣りの世で意思を表現すると、無関心、無責任、無感動になる。対立がないから、喜怒哀楽もなく、永遠のナギ、傍観者の傍観者となる。魔釣りの世界が、真釣りの神の世を役に立たない空想物語にしているのと同じことである。魔釣りの世の形をどう変えようと真釣り世にはならない。後少しの遊びである。
posted by oct49 at 08:53| 京都 ☀| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
プロフィール
名前:長谷章宏
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