2011年03月24日

政治は、政事(まつりごと)である。

政治は、政事(まつりごと)である。真釣り、魔釣り、祀り、祭り。元々は、真釣りを基とする神政である。為政者が魔釣りの「アヤマ知」に基づいた政治を行って世を支配しようとしても、世界を正しく導くことはできない。根底に真釣りの響きを持つ世界は、自らで自らを統治できる者(独裁者=独りで自ら裁量できる者)が構成する神の世界であり、支配思想を持つ者は存在できないから、世界支配を企む黒幕はいない。誰もが自分という国を平和に治め、国同士が平和に交わるから、世界全体が平和で自由な天国となる。各自が自由に振舞っても世は乱れないから、外圧を使って統制(支配)する必要は生じない。

現代社会が目指している天国というのは、実際は真釣りの天国であり、逆さまの魔釣りのままで世を進めても、天国は絶対に創れない。魔釣りを真釣りに戻さない限り、目指す天国が実現しないどころか、一番避けたい現実(人類滅亡)が実現することになる。全く逆さまのやり方で何を画策しようとも、神仏も含めて、為政者も市民も、誰も天国は体験できない。真釣りに戻した者には、滅亡という現実は存在せず、本当の天国が現実となる。ただし、真釣りに戻すためには、魔釣りの世で身につけたすべてのアヤマ知を捨て去らなければならない。それを怖がっていれば、魔釣りの為政者の世界に逆戻りとなり、魔釣りの消滅と共に自らの滅亡が現実となる。真釣りの天国は、生死時空を超えた世界であり、現代社会の制度を形だけでどんなにいじくり回そうとも、絶対に実現しない世界である。天国を体験したければ、一人一人が、自分という為政者の根本を真釣りに戻すことである。

政は、正父、と書く。正しい父(正しい火)のハタラキで治めなければ、世は乱れる。魔釣りの政は、正と攵、つまり、正を切り離して×を足場にした傾いた人(=獣)が治める世である。世は乱れるから、アメとムチで治めなければ、収拾がつかない。法律を使った外圧が必要になる。しかし、その混乱の源は、魔釣りの蛇の分かつ知であり、為政者が獣の響きである限り、本当の天国は永遠にできない。従って、獣の世で天国を創ろうとすればするほど混乱することになる。その構成員は、自ら考えることができず、欲望だけを追い求めて、略奪の世界での生き残り(自らの保身)だけを考える「獣」の響きであるから、混乱は収拾できず、世は乱れ放題となる。たとえ、その世の宗教の祀りで国を治めようとしたとしても、その宗教の源は自らが世を支配したい神(魔釣りの知恵の火の神)であるから、結局は同じことである。いくらお祭りをやっても五穀豊穣、国家安泰はありえない。一人一人が自らの身魂の行いを精査し、真釣りで魔釣りの響きを潔斎して「人」と成り、雲一つない晴れ渡った心、静かで清らかな澄み切った本当の誠心に戻ることが世の立て直しの礎となる。正神の精神で聖なる政事が為されれば、永遠の生を謳歌できる天国が続く。

信教の自由、思想・信条の自由、言論の自由が日本国憲法に保障されている。この場合の自由とは、『日本国憲法に基づく「日本国」という国家を存続させる限りにおいて』という条件付きである。どんな思想を持とうと、どんな宗教を崇拝しようと、個人レベルでとどまっている分には問題視されず、国家の監視対象にはならない。獣は自らのテリトリーを侵されるとなると攻撃する。自らの生存に危機を感じれば、危険分子とみなす。日本国の社会システムの根幹を揺るがす思想や宗教については、監視、弾圧の対象となる。多数の国民を扇動して混乱を増幅させるような場合や、国家の転覆を図る可能性のある集団については、即、公安警察が動くことになる。治安維持法や特高警察はなくなったが、その精神は裏の世界で生き続けている。日本国憲法では、言論の自由、表現の自由、思想・信条の自由、信教の自由等々の自由を規定しているが、実際には自由などない。利権の奪い合いと保身の指導者層がいる限り、国家の干渉を排除することはできない。各人が、自分の勝手な意見をぶつけ合って議論しても、妥協案は出るかもしれないが、誰もが満足する結論など出るはずもない。議論している双方が二極分裂の響きであり、議論している限りは、主導権争いの中である。ディベートというのは、論理戦争であり、どちらが正しいかではなく、『どちらが相手をやり込められるか』のゲームである。裁判もしかり。両論併記というのは、戦いの世界で時間切れになった拮抗した議論をその場だけで取り繕う逃げ道に過ぎない。二極分裂の戦いの自己保身の響きの世界が一つにまとまることはありえない。

民主主義社会というのは、表向きは主権は民衆にあり、政治に参加できることになっている。しかし、人類史は、神世、神政、神制、王政、王制、独裁制等々、殆どの時間は、誰か一人に権力が集まる仕組みで進んできた。宗教勢力と政治家が合体したり、権力闘争をしたりの繰り返しである。人類の歴史は、サルから始まったと言うが、ケモノの群れにはリーダーが必要である。羊の群れには羊飼い(神)、狼の群れにはボス、飼い犬には主人がいなければ統率がとれない。バラバラの思想の人間が集まって好き放題に社会を進めれば、混乱は必然である。民主主義、特に、議会民主制というのは、人類史の政治制度の変遷の最後に位置する最も統制がとれない仕組みなのである。米国、フランス、ロシアは大統領制であり、英国は女王を元首とする二大政党制、ドイツ、イタリアは大統領と首相が存在する。民主社会であるように見える西欧諸国は、王室の存在する国が多い。アジアも、王室を持つ国、政教一致の国が多い。翻って、今の日本国はと言えば、天皇という名のエンペラーは象徴化され、神道儀式は行うが、表の世の国事行為は政府の追認の仕事や名誉職であり、金と科学が国の支えである現在では、精神的な支えとしての役割もないに等しい。
posted by oct49 at 02:36| 京都 ☀| 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
プロフィール
名前:長谷章宏
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