2011年04月30日

天地自然の掟を破ったあなたが天国に永住することは許されない。

魔釣りの最高神の支配の完了というのは、元つ真釣りを外した「情けと花の仕組み」の世から見た真釣りの大神の神代に戻す仕組みの映しである。言うなれば、真コト真釣りの神代の光が一段落ちた(次元を一つ落とした)、真コトの一厘を見失った神の世界での天国復活の仕組みの話である。従って、光を一段上げれば、魔釣りの最高神の考えている世界は、すべてが無に帰す。しかし、真釣りの真コトの一厘を知らない魔釣りの最高神は、自らがすべてを知っている創造主であり、自らの知力で何でもできると思い込んでいる。自らの支配が完了した瞬間に魔釣りの世が消えることを知らずに、自らが支配する天国が絶対に成就すると信じ込んで、旧約聖書で言う「天地創造」から今の今まで何千年もの間、神を使い、人を使い、成就することはないその世界を完成させることを夢見て、幻に終わる世を進めてきたのである。神道も含めて、現代社会にあるすべての宗教の源流は、この神まで遡る。当然のことながら、この最高神と血統を同じくする神々やその手下である神々、その神々を信奉する人間、つまりは、現代社会に存在するすべての宗教と、その神々が根底にある科学で作った物質文明は、この神と同じ世界にいることになる。現代社会は、神から人まで、すべてが、この「最高神」の目指す世の現実に貢献している社会なのである。

自衛隊のイラク派遣ではないが、『戦争を避け続けた末に、戦争に参加させられる』という力学に基づいてこの世は動いている。天地自然の掟を破って、自らが世界を支配しようと企む神とその手下の作った世界で、あなたが自らの生き残りを図っているならば、必ず天地自然の掟を破った責任を取る時が来る。これは、あなたがどんな策をもってしても、避けることは出来ない。もし、それをしようとするならば、あなたは自らで永遠の命を捨てる道を選択したことになる。

あなたが天地自然の掟を破った世界に同意している限り、最悪の結末から逃げることは絶対にできない。天地自然の掟を破ったあなたが天国に永住することは許されない。自然の掟に反した者は、神、人を問わず、自然淘汰となる。これは創造の法則であり、そこから逃れることは神にすらできない。できると思うならば、それは、掟を破っている証であり、この自己矛盾、禅問答から抜けるには、掟破りを認めて、その責任を取るしか方法はない。自らの世界を自由自在に操れない限り、あなたの意思が及ばない状況になる時が来る。自らの望まない世界を封印し続けても、結局は、自らの知らないうちに最も避けたい世界に入り込んでしまうことになるのである。

創造の法則は、生死時空を超えて働いている。従って、例え何度生まれ変わろうとも、自らの責任を取らない限り、その世界から抜け出すことはできない。自ら作った責任である限り、今世に存在するどんな高等な詭弁を持ち出して現実を誤魔化そうとも、必ず、矛盾に直面する時が来る。あなたが避けている現実は、あなたが掟を破り続けた結果であり、自らが自覚して、自らの矛盾を認めない限り、最も恐ろしい現実を体験することは避けられないのである。
posted by oct49 at 09:23| 京都 ☁| 政治/宗教/法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神と神の対立を収拾しない限り、問題は何も解決しない。

現代文明は、西洋文明がその源であり、その西洋文明の基にあるのが、キリスト教である。キリスト教は、ユダヤ教が基にあり、ユダヤ教はヤハウェ(エホバ)をその最高神とする。イスラムの最高神は、唯一絶対神のアッラーである。この三宗教は、アブラハムを共通の祖先とする兄弟宗教であり、その聖地は、すべてエルサレムにある。嘆きの壁、岩のドーム、聖墳墓教会がそれであり、キリスト教はイエスという取り次ぎの語る言葉を通しての天の父と精霊と子の三位一体信仰であるが、ユダヤ教とイスラムは、唯一神を信奉する宗教である。一神教とは、自らの神を絶対とし、自らの神以外は認めない、という思想であるから、形の上では「共存」することはできるが、それぞれの神が「絶対神」である限り、神を一つにすることはできない。自らの神を認めさせたいが、相手の神は認められないという矛盾を解消したら、一神教は成立たなくなる。

一神教同士が対立し、「相容れない」三つの宗教が一つの場所を聖地としている世界では、どんな手立てをもってしても、人間の世界で平和を実現することはできない。エルサレムの聖地主権争いは、世界の縮図でもある。一神教同士が和解しない限り、世界は一つになることはないが、実際のところ、それは、できない相談である。一神教同士が、自らの絶対神を産んだ本当の絶対神、すべての一神教の神を産んだ親神、一神教の源の唯一神を認めなければ、一神教の対立は解消しない。宗教的対立をそのままにして、人間同士が話し合いをしても、自らの主張を譲らないから、議論は物別れに終わり、戦争という実力行使をしても、永遠に報復が続くだけである。

議論も戦争も、その顕現の源は同じであり、言葉を使うか、軍事兵器を使うかの違いに過ぎない。言論殺人をするか、肉体殺人をするか、の違いであり、それは、どちらも同じ動機に基づいた行動である。一神教の信奉者は、その絶対神と同じ思想を持つ。自らを絶対だと思い込んでいるなら、それは、一神教の信者の証である。お互いに自分が世界で一番になりたい蛇同士の睨み合いの世界は、結局は、共食いを経て、刺し違いで戦いは終わる。一神教同士の戦が終わった後に残った世界(本当の天国)こそ、本当の一神教の世界である。

一神教では、すべては、神の命ずる通りの行動をすることが善であり、神の思想に従った文化を形成していく。八百万の神々の日本は、一神教の思想の理解は難しいと言われるが、戦前の天皇主権の下で実行された「神風特攻隊」の精神は、皇国のために命を捨てる精神の極致であり、現在の自爆テロの思想そのものである。太平洋戦争の際、全滅を玉砕と言ったが、それは、玉(魂)を砕く、と言う意味である。神道や天皇を軍事政権と軍部が利用したことは事実であるが、精神論で国がまとまるのは、日本人の根底に神がいるからである。科学と経済一辺倒の思考が加速したのは、戦後教育がもたらした結果であり、魔釣りの世界だとはいえ、戦前は、まだ「神を敬う心」「宗教心」が残っていたのである。現在ならば、神ではなく、金で誘導すれば、国民は簡単に右から左に動くことになる。神の力よりも、金の魔力に惹きつけられてしまうのが、現代社会の日本人である。

神道は、八百万、つまり、万象万物に神を見るが、その万象万物の産みの親神を信奉する一神教である。

イスラエルとパレスチナの報復合戦の正体は、ユダヤとイスラムの神の聖戦である。そして、イラク戦争は、キリスト(十字軍)とイスラムの聖戦である。現代社会にある、その他の解決されない国際社会のルーツはすべて神の争いに行き着く。神から始まった世界の根底には、神が居続けるのが当然である。民主主義のリーダーである米国の大統領は、就任式で聖書に手を置いて宣誓し、演説の最後には必ず、『アメリカに神の祝福を』と言う。神と人、神の世と人の世は、一体不可分である。国教を封印した現代日本は、民主主義を形だけ輸入し、政治に宗教を絡めるのをタブーとし、公立学校では宗教そのものには触れない。日常から神を追い出した現代の日本の大部分の国民は、神を中心に生活する国の文化を理解することはできない。知識として教えることはできるが、神と一体化した生活の実感そのものは教えることはできない。

現代日本は、国際問題を人間の世界の話だと思っている。しかし、人と人、国と国の源は、神と神の争いであり、すべての対立の根底には、宗教があるのである。もし、神話が本当にただの物語であり、神などいないとすれば、人が自らで自らを産んだことになってしまう。神の存在は認めても、それが日常に影響を及ぼさない知識の範疇を出ないならば、現代社会の正体を知ることは難しい。神同士の争いが根底に存在する国際紛争を人間同士で解決することは出来ない。元々は、人間の思想自体が神の思想であり、神と神の対立を収拾しない限り、問題は何も解決しない。

『人間の思想は神の思想である』ということ自体を認めないのが現代の日本人の思想であり、神(宗教)の本当の力、本当の恐ろしさを最もわからないのが、神を消した神の国である。
posted by oct49 at 09:19| 京都 ☁| 政治/宗教/法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

民主主義とは、相互依存、相互呪縛のシステムである。

民主政治は、自由の仮面を被った、リーダー不在の利己主義集団の集団独裁統治である。構成員が奪い合いをしていなければ、集団も奪い合いにはならない。奪い合いをしていれば、社会は戦いになる。戦いの世界で自由を確保するには、支配権の奪い合いが必然となる。王政だろうが、民主制だろうが、根底にある思想は変わっていない。権力闘争の世界である限りは、どんな策をもってしても、全員が平和に暮らせる世界を創ることは不可能である。

人類の歴史が始まって以来、為政者は、本気で平和な世を作ろうなどとは思っていない。もし、本当にそう思っているならば、権力闘争はしない。そもそも、魔釣りの世界自体が平和を壊した世界であるから、真剣に世界平和を訴えたとしても、それは実現しない。自らの大元の取り違いに気づかない限り、実現しない幻想を追いかけ続けるだけである。

社会システムの裏に流れる思想を見れば、その社会の構成員の持っている思想がわかる。思想が変わらなければ、結果である社会は変わらない。社会は思想の顕現である。現代社会にある思想の根底にある大元の思想を引っ繰り返さなければ、言い換えると、魔釣りをそのままにして表面上の政治理念をどう変えようとも理想国家の現実はありえない。

集団という概念は、略奪の世界を効率よく操作するための道具であり、集団を統治するという思想は、戦いの響きを持つ個人の集まった社会を支配するための戦略である。その世界では、誰が指導者になろうと、支配者と被支配者の権力闘争である限り、絶対に平和な社会は実現できない。

民主主義とは、民が政治家を操って、自らの思いを果たす、集団逆統治の仕組みである。政治家は民の顔色を伺いながら自らに利益のある民の勢力と手を組んで自らの理念を実現しようとし、民は投票という殺生与奪の権をちらつかせて政治家に自らの思惑を実現させようとする、相互依存、相互呪縛のシステムである。政治家は、国家権力を操れる分、優勢ではあるが、双方が相手に命を預けているから、どんな政治理念であろうと、どの政党が政権を取ろうと、政民どちらも永遠に自由にならない。その間で生き残りを図る官も結局は、政と民の動きに左右されるから、最後は、全員丸潰れである。

個人の自由、権利と義務、民主化神話、男女平等の思想にどっぷりと漬かっている先進国の市民は、王制に戻ることを望まない。王政から民主制へと世を進めた末の現代社会の大衆は、過去の政治支配のトラウマから、過去の政治システムに戻ろうとはしない。民主化することが世界平和の最善策だと思い込まされているが、実際は、自らの存在の源である神から主権を奪い取ったに過ぎず、神を闇に葬っている大衆が主権者であると主張しても、平和などできるはずがない。民主主義は、最善のシステムなどではなく、世界支配の野望を成就するためのシナリオの最終段階に過ぎない。好き放題に振舞う大衆同士の争いを煽って混乱を作り出し、秩序を崩壊させることによって、自らを導いてくれるリーダーを大衆が要求するという形で、大衆の同意の上の独裁者による王政に戻すためのステップである。大衆自らが求めた独裁者は、大衆が選んだ独裁者であり、自ら選んだ限りは、従わない者は反逆者として処罰できる。

相互依存の略奪の歴史の魔釣りによる政治システムは、民主主義によって秩序が崩壊し、それを収拾するためという名目で権利が奪われてアメとムチの支配が完成し、独裁政治の復活となる。そして、王制、王政、神政の復活へと進み、最終的には、魔釣りの最高神が世を支配する神の世界へと戻る。聖書の世界が現実となる。
posted by oct49 at 09:14| 京都 ☁| 政治/宗教/法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月28日

問題は元々どこにも存在しない。

神法に違反して天国を壊した世界で作ったもので何をしようと本当の天国には帰れない。ますます、違反が進み、学校が乱れ、刑務所が意味をなさなくなり、神のご利益がなくなり、結局は、その世界は、混沌、混乱、混迷、問題だらけの世界になる。

現代社会でいう「問題」を「解決」するためには、問題を生み出した本当の原因を消去しなければならない。自らがその原因を持っていれば、問題の解決と同時に、自らが消去されることになる。今のままで社会をどう改革しようとも、新たな問題を産み続けた末に、自己崩壊の結末が待っているだけである。

真釣り外しの世自体が悪であり、何の目的でそれを続けているのか、その世界の中で善と悪の潰し合いを続けても、全く意味がない。魔釣りのアヤマ知を捨て、自らの生き様を真釣りに戻さない限り、幻想の善と悪は共に滅ぶ。

元つ真釣りの天国には、何の問題もないから、秩序しかない。秩序の維持という思想は、言うなれば、天地の掟を破った悪神が自らの支配する世の維持を図って大神を封じるための策略であり、その企みは絶対に成就しない。

どんなに悪あがきをしようとも、悪神が創った世界は、必ず滅びる。

『神が許しているから裁いてもよいのだ』というのは、「許しているものを禁じる」という矛盾を封印して、自らの生き残りを図るために邪魔者を消す行為を続けるための詭弁である。この世で存在が許されているものを殺すという思想を持つ者、言い換えれば、犯罪者(悪人、この世でいう悪魔)を裁いている裁判官とそれに同調している者(善人、この世でいう神)がどんな運命を辿るのか(自らがいったい何をしているのか)をよく考えてみて欲しい。

真釣りという神法に違反したことがすべての問題を生み出した根源であり、問題は元々どこにも存在しない。つまり、「問題解決」という概念自体が幻想であり、源が魔釣りである以上は、問題が解決されることは絶対にありえない。
posted by oct49 at 23:54| 京都 ☁| 宗教/教育/社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この先も、同じやり方で進むなら、もう日本国に未来はない。

世界は神がその精神の基盤にあり、日本ほど神をないがしろにしている国はない。人類の歴史は、結局は、宗教戦争の繰り返しである。科学と宗教が別物だと思い込み、自国の宗教の実体もわからず、世界の宗教に疎く、自ら考えることができず、今現在の収支決算に右往左往し、経済や福祉や反戦に命を賭け、ありとあらゆる快楽を追い求め続ける現代社会の日本人。安全神話が崩壊したとは言え、現代日本は、民主主義の自由な国、豊かな国、平和な国だと思われている。しかし、それは、表向きのことであって、その実態は、宗教戦争に敗北した神なき神の国である。イスラムとキリスト教の戦いのその裏に、もっと恐ろしい計画が着々と進行している。真釣りの真コトを思い出さない限り、日本も世界も共倒れである。戦後教育によって完全に霊的去勢されてしまった「一般庶民」の思いも至らないところで、神仏の世界や生死、時空を超えた、どえらい仕組みが動いているのである。

今の日本国においては、宗教を個人的に崇拝する分には自由だが、悪魔思想を実行しようとすれば、それは危険思想として国家機関総動員で封印にかかる。獣は人を恐れる。悪魔は神を恐れる。どちらが「国を破滅に導く悪魔思想」なのかを正直に見てみることである。宗教や思想、哲学を表現する自由は一応認められてはいる。しかし、人類の歴史の常として、国家運営や一般社会に大きな影響を与えるようになれば、公安の監視対象となり、いよいよとなれば弾圧される。今の世にある思想ですらそうであるから、真釣りの「思想」は、それは、当然のことながら、魔釣りのアヤマ知で作った国家では、認めることはできない。国家の崩壊を扇動する思想のように見えるからである。それは、今の日本国の根本理念とこの本で語っている理念とが真逆だからであり、著者から見れば、今の日本国家が国家の破壊に進んでいるように見えるのである。史実として大本教の弾圧という実例がある。

今の「日本国」は、民主主義という思想、議会民主(議院内閣)制という政治制度と市場経済を基盤として成立している。科学思想が教育の根底にある理念であり、科学技術と金融経済が日本国を存立させる土台である。そして、その絶対法規が日本国憲法である。歴史を逆戻りさせるような宗教的国家運営を唱える勢力や軍事クーデターを企む勢力を封印し、天皇を象徴に落とし、国教を無宗教に変え、金と科学で国づくりを進めた、その結果が、今である。平成に入ってからの日本の状況、出来事、世界の動きが何を意味しているのか、正直に見てみることである。この先も、同じやり方で進むなら、もう日本国に未来はない。
posted by oct49 at 15:00| 京都 ☀| 政治/宗教/法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月27日

本当の悪から足を洗うこと、本当の悪の戒律を無視することに、罪悪感はいらない。

あなたは、自分が自分を刑務所に入れたことを綺麗サッパリ忘れている。自分の意思で神法違反をしたことを忘れているから、自分が自分を裁いた裁判官であり、自分が自分の刑期を決めている刑務官(神)であることに気づいていない。自分が自分の違反を清算すれば、刑務所が娑婆に変わる。刑務所から出ればそこは天国であるが、神法違反の刑務所は死んでも消えず、次元を超えて存在する。

神法違反を清算しない限り、自らが刑務所を作り続けて、その中で、できない自由を求めて彷徨い続ける。罪を清算(差し引きゼロに)しなければ、永遠の天国には出られない。もし、逃れられない罪や誰かが与える罰、神の裁きというものがあるとすれば、現代社会を作り出した歴史の源の神を倒さない限り、人類は永遠に天国を体験することはできないことになる。

魔釣りの神の裁きは、自称「絶対権力者」の神の気分次第であり、神の言うことを聞けば死なないが自由はなく、言うことを聞かなければ命はない。言うなれば、おのれが死ぬか、最愛の者を殺すか、どちらか選べというのが、魔釣りの神の踏絵である。魔釣りの神、言い換えれば、世の黒幕は安泰である。それはそのまま、魔釣りのアヤマ知の現代社会での究極の場面の選択(脅し)であり、自己犠牲か、自己保身か、の選択を迫られることになる。死ぬのはいやだが、誰かを殺すのもいやだ、と思っていれば、脅した相手に服従するしかないのである。自分が死ぬか、誰かを殺すか、脅した相手に反旗を翻すか(それは、自らの死を選ぶのと同じである)の自由意志の選択があるようで、実は、一つの道しか用意されていないのである。罪悪感を持っている限り、たとえ死んでも魔釣りの神の支配する世界の奴隷から自由にはならない。

魔釣りの神は、真釣りを外すことに罪悪感は持たない。続きを読む
posted by oct49 at 14:27| 京都 ☀| 法/宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月26日

「裁く心」が真釣り外しを進める根源である。

法制とは、為政者が世界を支配するために創ったシステムであり、現代社会の裏の裏を操っている影の支配者、世の黒幕は法律など守っていない。現代社会の裏舞台、「一般人」には思いも及ばない世界では、着々と支配計画が進行している。「獣」の響きに囚われた者が創ったシステムで、「人」の天国を創り出すことはできない。実際は、法律で規制すればするほど無法地帯と化し、自由を制限するほど共食いが激しくなるのである。法律が必要になった大元を直さない限り、犯罪の撲滅という目標は果たされることはない。

本当の天国に「法律」は存在しない。神法違反の「犯罪」である魔釣り自体が存在し、その「犯罪者集団」の中で罪の裁き合い(神が裁いていないものを、人が裁くこと=神が許している行為を、人が禁じること)ができるのは、「神法違反の罪」そのものは、まだ裁かれていないということを意味している。簡単に言えば、神が許しているからこそ裁けるのである。言うなれば、罪人社会の中で、罪の擦り合いが公然と行われているのであり、形の上の被害者が加害者を抹殺して自由を得ようとしているのである。罪や悪の本当の意味を知らないから、自らが犯した罪を棚上げし、他人を裁かないことが非常識であるかの如く、他人の罪を責めることが当たり前の常識として闊歩している。

神法から見れば、全員が「罪びと」であり、他を裁く資格のあるものは誰もいない。今の世でも、法律違反を犯した者が他人を裁く資格がないのと同じことで、これは、神法にも適用される。神法を破った者がその罪を認めないとすれば、その者は永遠に自由にはならない。「裁く心」が真釣り外しを進める根源である。

有限の中で無限の略奪はできない。無限の中に有限を作り、その有の奪い合いをしているなら、必ず終わりが来る。言い換えれば、自分が自分を奪う時が必ず来るということである。違反を認めないならば、神法に違反した者は自らを消して神法違反を清算することになる。悪を裁けば裁くほど、自らで自らの首を締め続けることになり、最後は窒息して息き絶える。自らが違反を認めて清算しない限り、あなたが天国に戻ることはありえない。自らが違反を清算しないならば、国際貢献も、神の手伝いも、全く意味はなくなる。

まずは、あなたの神法違反を清算することが先である。それが同時に世のため人のためになっていくのである。世のため人のため神のために生きたいならば、足元を正すことである。神法は、生死時空を超えた自業自得の掟であるから、これが一体何を意味するのかは、わかるはずである。

神はすべてを産み出す。神の持つ響きが世の現実である。世の現実が神の持っている響きである。自=余=世=地。自らの現実はすべて自らが産み出したものである。自らの世界は自分そのものなのである。すべての現実を作り出す、その自分という神が嘘を持っていれば、幻の世界を実体だと思い込み、自ら進んで嘘の世界を進めた末に、嘘が存在できない世界が来れば、自らもろとも現実は消滅する。これを空想だと言うならば、それは、幻の世にしがみ付きたいがための詭弁であり、自由を自ら捨てることを意味する。すべては自業自得の仕組みであり、自らが自らの自由を放棄するのであるから、誰も助けてくれることはない。自らが自らの世界をどうするのか、生きるか滅ぶかは自分次第である。

大きな視点から見て「何の罪もない者」はいない。本当の「罪」(神法違反)は、自ら清算しない限り、時空を超えて積み続けることになる。自らが自覚して罪相応の苦労を堪えて清算しない限りは、罪は消えない。罪が消えなければ、天国はない。魔釣りの積を摘まなければ、自らの天国の花は咲かない。

「罪人」同士の裁き愛は、大きな視点から見れば、パンドラの箱の中での相対的力学による封印合戦であり、自らが自らを裁き続けて自殺をするゲームの中の生き残り競争である。最後は全員が自殺して、そのゲームは終わる。実は、その箱の中そのものが「刑務所」であり、その中でボス争いをしている、「猿山の権力闘争」でしかない。その猿山を見ている人間に当るのが、神であるが、その神の世界も、神の猿山で同じことをしている。そのすべての猿山の権力闘争を見ているのが、元つ大神である。真釣りに戻らない限り、猿山の権力闘争からは死んでも抜けられない。人類の先祖は猿だと言っているが、猿と人類の祖先が共通ならば、人類は猿である。戦っている人間は、外見は「人」であるが、中身は「獣」である。猿を祖先とする中つ神の世の「獣」は、元つ神の「人」の世には生きられない。

神法違反を許す仕組みは期間限定である。いつまでもできると思うなら、それは、自らの違反をそのままにして、幻の世界の快感に浸り続けたいがための幻想である。いつまでもそれを続けても構わないが、本当の命を自ら捨てる時が必ず来るという事実は動かない。

命そのものが自分であり、現実であり、世界そのものであり、神法違反の作り出すシステムでは、「天国」は絶対に実現しない。実現するというならば、まさに、「荒唐無稽」な「誇大妄想」、万古末代、永遠に実現することはあり得ない究極の幻想である。本当の「不老不死の命」を得たいのならば、本当の天国で、二度と枯れることのない永遠の生を生きたいというのならば、まずは今ここで一端立ち止まって、今の自分が何をしているのか心底考えてみることである。
posted by oct49 at 06:31| 京都 ☀| 法/宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月25日

真釣りの世界には、不都合(悪、危険、苦)は何もない。

『自らの不都合は自らの神法違反のお知らせである』これは、善の側にも、悪の側にも適用される。自分にとっての悪に戦いを挑めば、自爆して自滅するのである。テロリストの側も、テロ撲滅軍に報復すれば同じことであり、最後は、喧嘩両成敗で幕を閉じる。ウイルスに戦いを挑めば、ウイルスは生き残って自らだけが消えることになる。そのウイルスを兵器に使った場合は、人間同士の戦いの結末の通りとなる。これは、原子力や、化学物質にも言えることである。自然(地震、噴火、洪水等々)に戦いを挑んでも同じことである。地震は自身の揺れの型示しであるから、地震(真釣り外した自身)から逃げることはできない。

本当の神の案内に従って歩けば、どんな地獄を見ようとも、必ず天国に着く。元の始めの天国を壊した魔釣りを壊せば、元の始めの真釣りが復活し、天国に戻る。元からある天国はあり続け、それを隠した霧である幻想を実体だと思っても、幻である霧は晴れて、元の天国が現れる。霧を実体だと思えば、霧と共にあなたも消える時が来る。

心に霧がある人間に天国は見えない。自らが持っている魔釣りの響き、分かつ知をやめ、アヤマ知を捨てると一旦は地獄に見える状況を経て、真釣りに戻る。真釣りに戻れば、形も直り、天国(自由、平和)が現実となる。

魔釣りという自らの神法違反を真釣りに戻せば、「悪の根源」を自ら消して、自らが天国にいることができる。あなたの心の中心にある究極の闇、その闇こそが本当の光なのである。

真釣りの世界には、不都合(悪、危険、苦)は何もない。
posted by oct49 at 07:08| 京都 ☁| 宗教/社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月24日

あなたが持っている概念や言葉は、すべて作られたものである。

一つ大きな視点(真釣り)から見れば、魔釣りの世の法則(常識、道徳)は自らに返ることになる。

魔釣りの言う悪は悪ではない。自らの外に見える悪は、真釣りの世から見た自らのことである。真釣りには善悪はなく、魔釣りの言う悪は、実体のある悪ではない。言うなれば、真釣りという絶対善が許した絶対悪の中に善悪のハタラキがあるだけである。悪の裁きあいは、真釣りという神法に違反した者を魔釣りの響きを作って真釣りに戻す仕組みの中で通用する仕組みに過ぎない。

真釣りしかない世で真釣りで生きれば、何の不都合もない。真釣りに違反すれば、不都合が現れるようにしてあるから、不都合があるなら、それは、自らの真釣り外しの現れである。自らが『何も悪いことはしていない』ならば、自分以外の誰かが自分を不都合にしたことになるから、その誰かを悪と呼ぶことになる。

「善」「悪」、というのは、作られた思想であり、善(悪)という言葉も概念も元々は存在しない。

悪とは何なのか。善とは何なのか。あなたが持っている概念や言葉は、すべて作られたものである。悪はどこにもない。真釣りの世には苦はない。あなたに苦や不都合があるならば、無いものを持っているならば、それは、あなたが真釣りに違反した証そのものである。

あなたがそれを認めないならば、真釣り外して自分だけが滅ぶのみである。
posted by oct49 at 06:24| 京都 ☀| 法/宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月23日

神話を超えた遠い大昔から続いて来た、幻の人類が終焉を迎える。

法律が定めることが善(正)であるならば、法律違反は悪(誤)となる。『善悪がある』ことが真理であると言うならば、「裁くこと」自体の善悪は議論されることはない。なぜならば、「裁くこと」がおかしいと言ってしまったら、この世は悪だらけになってしまうからである。あなたは、今まで、苦の正体を知らず、自らの人生のカラクリを知らず、あなたの快欲を維持するために都合がよい『苦があるのは当たり前だ』という教に騙されて、自らに訪れる苦の響きから逃れたい一心で何か(誰か)を裁き続けてきたのである。

苦があるのが当たり前で、その苦は誰かが自分にもたらしたものだという幻想に囚われていれば、あなたは自らの苦の責任を誰かに転嫁し続けることになる。社会をよくしようとする行動すらも、社会にある「悲惨な」状況や「不都合な」状況から逃れたいがために、自らのしていることを棚に上げて、皆と一緒になって、いい加減な理屈の善を行じた茶番劇である。社会を良くしようとし続けたはずなのに、なぜ社会が乱れていくのか。嘘は明らかである。

なぜ天国ができないのか。なぜ、悪がなくならないのか。「善悪のある世界」があり続ける限り、天国は実現せず、悪はなくならない。「善悪がある世界」が実体ならば、天国も悪の撲滅も永遠に実現しない夢である。「善悪がある世界」で、善悪がなくなることは絶対にない。もし、「善悪がある世界」が幻想ならば、天国も悪も、必ず消える時が来る。

「善悪がある」という思想に基づいて現代社会が作られているならば、「善悪がない世界」から見れば、幻想の作り出す空想物語りの中の社会となる。裁判や制裁では、永遠に天国はできない。それどころか、永遠の滅びを進めるだけである。形に現れた、自らに不都合な人物や行為を抹殺したとしても、自らの天国が実現することは末代ない。

今のあなたが持っている「すべて」の価値観(観念)を本当のゼロに戻して、自らの生き様を今すぐに根本から直さないならば、あなたは、嘘の幻の教を信じたまま、永遠に滅びることになる。永遠の滅びというのは、魂(あなたの実体)の永遠の死を意味するから、あなたはもう二度と永遠に、この世どころか、どこにも産まれることができなくなってしまうのである。

神話を超えた遠い大昔から続いて来た、幻の人類が終焉を迎える。その歴史は、真釣り外した集団が作った、本来どこにもないマヤカシの歴史である。神々も含めた幻想の世界が永遠に終わる時が間もなくやってくる。そして、今までのすべての行いの清算を終えた者だけが、本当の天国で本当の自由と平和を永遠に謳歌することになる。
posted by oct49 at 09:41| 京都 ☔| 政治/宗教/法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
プロフィール
名前:長谷章宏
職業:トータルライフコンサルタント
ウェブサイトURL:http://tlchaoffice.blog85.fc2.com/