2017年03月24日

*混迷の日本そして世界 真日本再生への道しるべ

*リンク記事

       今まさに、歴史上かつてない激動の時代。。。

 
 初めて出版した拙著『人生というゲームの新しい遊び方(たま出版)』のカバーコピーです。あれから23年、果たして時代は、日本は、そして世界はどうなったでしょうか。


 トランプ政権誕生と保護主義や民族主義の復活、宗教宗派対立に絡むテロの続発、イスラム難民問題、移民対策、民族対立、北朝鮮の核実験とミサイル発射、金正男氏暗殺、韓国大統領の罷免、中国の海洋進出、英国のEU離脱、TPP等の貿易問題、LGBT等の人権問題、財政赤字や貧富の格差の拡大、大規模地震や洪水、噴火、津波等の自然災害の頻発、原発再稼働、被災者支援、沖縄基地問題、エネルギー問題、地球温暖化対策、集団的自衛権、憲法改正論議、テロ等準備罪の是非、死刑廃止論議、個人情報保護、機密情報の漏洩、東京五輪、民泊、地方再生、天皇の生前退位、喫煙防止法論議、豊洲市場問題、森友学園問題、官僚の天下り、アベノミクスの功罪、カジノ法とギャンブル依存、スマホ依存、薬物汚染、非正規雇用の増加、ブラック企業、長時間労働と過労死、教育制度改革、少子高齢化の加速、少年法改正論議、待機児童問題、死生観の変化と火葬場不足、安楽死の是非、理解を超えた無差別殺人、自殺、うつ、難病、遺伝子操作、再生医療、食の安全、介護、年金、生活保護問題、教師や警察官の不祥事、いじめや虐待の深刻化等々。

 数え挙げればキリがありませんが、地球規模で解決すべき問題や対応すべき課題が、解決するどころか雪だるま式に膨れ上がり、まさに、頂上が見えないほどに山積しています。続きを読む
posted by oct49 at 12:36| 京都 ☁| 宗教/教育/社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月19日

現代社会の最奥にあるもの

天皇の生前退位の審議が始まった。なぜ今なのか。

現代社会の深奥にあるものは知識では見えない。日々の報道を見れば、小難しい知識をこねくり回さずとも、この世の地獄と言っても過言ではない現実が、大衆の日常を侵蝕する度合いを増していることがわかる。偏見や固定観念、根拠のない希望的観測を手放して正直に世を見渡せば、平和とはほど遠い現実が地球規模で展開されていることがわかる。神仏ですら想像もできない何者かが、制御不能のブラックホールを携えて、とてつもない早さで、誰も手に負えないどこかへ我々を導こうとしている。平和どころか、もはやどんな屁理屈も通用しない、もうどんなごまかしもきかない本当の恐怖が、ひたひたと足下に迫っている。

世界はいったいどこへ行こうとしているのか。

現代社会の混乱を収拾する鍵は、まだだれも知らない本当の日本が握っている。日本という国の本当の姿を知らなければ、誰もが待ち望んでいる本当の平和や幸福、自由や天国は永遠にやって来ない。本当の平和な世界は未来永劫、露と消える。

現代社会の奥底にあるもの。この世の本当の真実には、まだ誰も気づいていない。

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posted by oct49 at 21:45| 京都 ☁| 政治/宗教/法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月04日

この本は科学も含めたすべての宗教を統合する経典、預言書である

本当の宇宙創造神とは一体どんな存在なのか。その答えは、日本にある。

日本独自のものとして、宗教学では神社神道と区別されて新興宗教である教派神道として扱われるが、元つ真釣りの立て替え立て直しを知らせる金光、黒住、天理(おふでさき)、大本(大本神論)、日月神示、火水伝文の一連の流れの「神示」がある。これらは、世界をすべて束ねる元つ大神が取次ぎ者を通して時代に合わせて降ろした、神の世界の真実を語った言葉を書き記したものであり、言わば、科学も含めたすべての宗教を統合する経典、西洋風に言えば天地創造神の預言書である。神が語っている形なので、宗教に分類されるが、正確には宗教でも神道でもなく、神話も含めた人類の歴史の裏の裏に封印された、現代社会の本当の姿、本当の天国の正体を明かし、一人一人の生き様を振り返り、本当の世界平和をもたらす術を語る文献である。

しかし、既存の宗教の経典とは赴きを異にした表現と現実社会の存亡に直接影響する内容を持っており、時の政府にとっては、宗教の経典というより、どちらかと言えば、実行可能な思想書だと見える。従って、近現代社会にとっては、特に、日本の政府当局にとっては、今までの歴史のすべてを否定し、現実の社会を破壊する恐れのある危険思想として映るため、大本教の弾圧に象徴されるように、あらゆる手段を使って闇に葬られてきた歴史がある。

真釣りの響きは、魔釣りの勢力にとって破壊思想なのである。このことをしっかり自覚して、くれぐれも、今までと同じ轍を踏まないようにして欲しい。

これらの神示は、読む者の心の曇り具合、持っている響きによって、何通りにも読む(解釈する)ことができるため、独自教団を作り、あるいは、外国の宗教を取り込んで、宗教化することもできる続きを読む
posted by oct49 at 00:00| 京都 ☁| 宗教/政治/科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

「人類の歴史を進めた力学」は天地創世から現代社会まで一切変わっていない。

現代社会は、分裂の響きが形になった極致である。宗教同士の対立に加えて、各宗教内でも分派や派閥の争いがあり、世界統一は一筋縄ではいかない。

ギリシャ正教、ロシア正教、英国国教会等の各宗教の分派も含めて、カトリックとプロテスタントが対立するキリスト教とイスラムを中心とする外国(西洋)の宗教は、三大宗教のいずれかに分類される。従って、現代社会のすべての局面において、その宗教の本質である神と悪魔、正義と悪の二極対立の構図が現れることになる。科学というのも、形の現われの解釈という手法で、神が源である物質世界を語る宗教であり、共産主義や社会主義も、あえて言えば、神を認めない神の思想である唯物論にその基礎を置いた宗教と言える。結局は、すべての宗教と科学を突き詰めれば、最後には「神の領域」に踏み込むことになり、神についての議論となる。

人類の歴史は、表面上は膨大な出来事が積み重なっているが、その根底にある「人類の歴史を進めた力学」は、天地創世から現代社会まで一切変わっていないのである。

東洋を見れば、曼茶羅の中心に座す大日如来を宇宙創造仏とする仏教は、ブラフマンを宇宙創造の源とするヒンズーの流れを汲む。アメノミナカヌシを宇宙創造主とする今の日本神道も結局は、天照大神を最高神とする一神教である。その他、各民族の土着の宗教も、それぞれの最高神を祀る一神教である。自然崇拝等の多神教であっても、自然や神々を産み出した源の力を神とする一神教と言えるから、結局は、人類の歴史を通した争いは、一神教の神同士の争いに帰結する。

一神教の神同士が争うという矛盾を解決するためには、それぞれの唯一神を束ねる唯一神の登場が必要であるが、しかし、実際は、その唯一神もまた、唯一神ではないのである。そしてもし、世界をすべて束ねる唯一神の存在を認めると、それは、今まで世界を牛耳ってきた勢力にとっては、自らの作ってきた世界を一瞬のうちに闇に葬ってしまう、自らが信仰する神と自ら自身の存亡に関わる危険思想となり、現代社会のすべての営みが成り立たなくなるという現実を突きつけられる事態に直面する。これは、一人一人にとっても、自らの拠り所をすべて失う一大事であり、本当の唯一神が現れたとなれば、今の自分の存亡だけを目的に、たとえ本物であったとしても闇に葬る必要があると考える。

それが自らの命の源を抹殺することになる愚かな行為とも知らずに。
posted by oct49 at 10:30| 京都 ☁| 宗教/教育/社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月30日

天地自然の掟を破ったあなたが天国に永住することは許されない。

魔釣りの最高神の支配の完了というのは、元つ真釣りを外した「情けと花の仕組み」の世から見た真釣りの大神の神代に戻す仕組みの映しである。言うなれば、真コト真釣りの神代の光が一段落ちた(次元を一つ落とした)、真コトの一厘を見失った神の世界での天国復活の仕組みの話である。従って、光を一段上げれば、魔釣りの最高神の考えている世界は、すべてが無に帰す。しかし、真釣りの真コトの一厘を知らない魔釣りの最高神は、自らがすべてを知っている創造主であり、自らの知力で何でもできると思い込んでいる。自らの支配が完了した瞬間に魔釣りの世が消えることを知らずに、自らが支配する天国が絶対に成就すると信じ込んで、旧約聖書で言う「天地創造」から今の今まで何千年もの間、神を使い、人を使い、成就することはないその世界を完成させることを夢見て、幻に終わる世を進めてきたのである。神道も含めて、現代社会にあるすべての宗教の源流は、この神まで遡る。当然のことながら、この最高神と血統を同じくする神々やその手下である神々、その神々を信奉する人間、つまりは、現代社会に存在するすべての宗教と、その神々が根底にある科学で作った物質文明は、この神と同じ世界にいることになる。現代社会は、神から人まで、すべてが、この「最高神」の目指す世の現実に貢献している社会なのである。

自衛隊のイラク派遣ではないが、『戦争を避け続けた末に、戦争に参加させられる』という力学に基づいてこの世は動いている。天地自然の掟を破って、自らが世界を支配しようと企む神とその手下の作った世界で、あなたが自らの生き残りを図っているならば、必ず天地自然の掟を破った責任を取る時が来る。これは、あなたがどんな策をもってしても、避けることは出来ない。もし、それをしようとするならば、あなたは自らで永遠の命を捨てる道を選択したことになる。

あなたが天地自然の掟を破った世界に同意している限り、最悪の結末から逃げることは絶対にできない。天地自然の掟を破ったあなたが天国に永住することは許されない。自然の掟に反した者は、神、人を問わず、自然淘汰となる。これは創造の法則であり、そこから逃れることは神にすらできない。できると思うならば、それは、掟を破っている証であり、この自己矛盾、禅問答から抜けるには、掟破りを認めて、その責任を取るしか方法はない。自らの世界を自由自在に操れない限り、あなたの意思が及ばない状況になる時が来る。自らの望まない世界を封印し続けても、結局は、自らの知らないうちに最も避けたい世界に入り込んでしまうことになるのである。

創造の法則は、生死時空を超えて働いている。従って、例え何度生まれ変わろうとも、自らの責任を取らない限り、その世界から抜け出すことはできない。自ら作った責任である限り、今世に存在するどんな高等な詭弁を持ち出して現実を誤魔化そうとも、必ず、矛盾に直面する時が来る。あなたが避けている現実は、あなたが掟を破り続けた結果であり、自らが自覚して、自らの矛盾を認めない限り、最も恐ろしい現実を体験することは避けられないのである。
posted by oct49 at 09:23| 京都 ☁| 政治/宗教/法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神と神の対立を収拾しない限り、問題は何も解決しない。

現代文明は、西洋文明がその源であり、その西洋文明の基にあるのが、キリスト教である。キリスト教は、ユダヤ教が基にあり、ユダヤ教はヤハウェ(エホバ)をその最高神とする。イスラムの最高神は、唯一絶対神のアッラーである。この三宗教は、アブラハムを共通の祖先とする兄弟宗教であり、その聖地は、すべてエルサレムにある。嘆きの壁、岩のドーム、聖墳墓教会がそれであり、キリスト教はイエスという取り次ぎの語る言葉を通しての天の父と精霊と子の三位一体信仰であるが、ユダヤ教とイスラムは、唯一神を信奉する宗教である。一神教とは、自らの神を絶対とし、自らの神以外は認めない、という思想であるから、形の上では「共存」することはできるが、それぞれの神が「絶対神」である限り、神を一つにすることはできない。自らの神を認めさせたいが、相手の神は認められないという矛盾を解消したら、一神教は成立たなくなる。

一神教同士が対立し、「相容れない」三つの宗教が一つの場所を聖地としている世界では、どんな手立てをもってしても、人間の世界で平和を実現することはできない。エルサレムの聖地主権争いは、世界の縮図でもある。一神教同士が和解しない限り、世界は一つになることはないが、実際のところ、それは、できない相談である。一神教同士が、自らの絶対神を産んだ本当の絶対神、すべての一神教の神を産んだ親神、一神教の源の唯一神を認めなければ、一神教の対立は解消しない。宗教的対立をそのままにして、人間同士が話し合いをしても、自らの主張を譲らないから、議論は物別れに終わり、戦争という実力行使をしても、永遠に報復が続くだけである。

議論も戦争も、その顕現の源は同じであり、言葉を使うか、軍事兵器を使うかの違いに過ぎない。言論殺人をするか、肉体殺人をするか、の違いであり、それは、どちらも同じ動機に基づいた行動である。一神教の信奉者は、その絶対神と同じ思想を持つ。自らを絶対だと思い込んでいるなら、それは、一神教の信者の証である。お互いに自分が世界で一番になりたい蛇同士の睨み合いの世界は、結局は、共食いを経て、刺し違いで戦いは終わる。一神教同士の戦が終わった後に残った世界(本当の天国)こそ、本当の一神教の世界である。

一神教では、すべては、神の命ずる通りの行動をすることが善であり、神の思想に従った文化を形成していく。八百万の神々の日本は、一神教の思想の理解は難しいと言われるが、戦前の天皇主権の下で実行された「神風特攻隊」の精神は、皇国のために命を捨てる精神の極致であり、現在の自爆テロの思想そのものである。太平洋戦争の際、全滅を玉砕と言ったが、それは、玉(魂)を砕く、と言う意味である。神道や天皇を軍事政権と軍部が利用したことは事実であるが、精神論で国がまとまるのは、日本人の根底に神がいるからである。科学と経済一辺倒の思考が加速したのは、戦後教育がもたらした結果であり、魔釣りの世界だとはいえ、戦前は、まだ「神を敬う心」「宗教心」が残っていたのである。現在ならば、神ではなく、金で誘導すれば、国民は簡単に右から左に動くことになる。神の力よりも、金の魔力に惹きつけられてしまうのが、現代社会の日本人である。

神道は、八百万、つまり、万象万物に神を見るが、その万象万物の産みの親神を信奉する一神教である。

イスラエルとパレスチナの報復合戦の正体は、ユダヤとイスラムの神の聖戦である。そして、イラク戦争は、キリスト(十字軍)とイスラムの聖戦である。現代社会にある、その他の解決されない国際社会のルーツはすべて神の争いに行き着く。神から始まった世界の根底には、神が居続けるのが当然である。民主主義のリーダーである米国の大統領は、就任式で聖書に手を置いて宣誓し、演説の最後には必ず、『アメリカに神の祝福を』と言う。神と人、神の世と人の世は、一体不可分である。国教を封印した現代日本は、民主主義を形だけ輸入し、政治に宗教を絡めるのをタブーとし、公立学校では宗教そのものには触れない。日常から神を追い出した現代の日本の大部分の国民は、神を中心に生活する国の文化を理解することはできない。知識として教えることはできるが、神と一体化した生活の実感そのものは教えることはできない。

現代日本は、国際問題を人間の世界の話だと思っている。しかし、人と人、国と国の源は、神と神の争いであり、すべての対立の根底には、宗教があるのである。もし、神話が本当にただの物語であり、神などいないとすれば、人が自らで自らを産んだことになってしまう。神の存在は認めても、それが日常に影響を及ぼさない知識の範疇を出ないならば、現代社会の正体を知ることは難しい。神同士の争いが根底に存在する国際紛争を人間同士で解決することは出来ない。元々は、人間の思想自体が神の思想であり、神と神の対立を収拾しない限り、問題は何も解決しない。

『人間の思想は神の思想である』ということ自体を認めないのが現代の日本人の思想であり、神(宗教)の本当の力、本当の恐ろしさを最もわからないのが、神を消した神の国である。
posted by oct49 at 09:19| 京都 ☁| 政治/宗教/法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

民主主義とは、相互依存、相互呪縛のシステムである。

民主政治は、自由の仮面を被った、リーダー不在の利己主義集団の集団独裁統治である。構成員が奪い合いをしていなければ、集団も奪い合いにはならない。奪い合いをしていれば、社会は戦いになる。戦いの世界で自由を確保するには、支配権の奪い合いが必然となる。王政だろうが、民主制だろうが、根底にある思想は変わっていない。権力闘争の世界である限りは、どんな策をもってしても、全員が平和に暮らせる世界を創ることは不可能である。

人類の歴史が始まって以来、為政者は、本気で平和な世を作ろうなどとは思っていない。もし、本当にそう思っているならば、権力闘争はしない。そもそも、魔釣りの世界自体が平和を壊した世界であるから、真剣に世界平和を訴えたとしても、それは実現しない。自らの大元の取り違いに気づかない限り、実現しない幻想を追いかけ続けるだけである。

社会システムの裏に流れる思想を見れば、その社会の構成員の持っている思想がわかる。思想が変わらなければ、結果である社会は変わらない。社会は思想の顕現である。現代社会にある思想の根底にある大元の思想を引っ繰り返さなければ、言い換えると、魔釣りをそのままにして表面上の政治理念をどう変えようとも理想国家の現実はありえない。

集団という概念は、略奪の世界を効率よく操作するための道具であり、集団を統治するという思想は、戦いの響きを持つ個人の集まった社会を支配するための戦略である。その世界では、誰が指導者になろうと、支配者と被支配者の権力闘争である限り、絶対に平和な社会は実現できない。

民主主義とは、民が政治家を操って、自らの思いを果たす、集団逆統治の仕組みである。政治家は民の顔色を伺いながら自らに利益のある民の勢力と手を組んで自らの理念を実現しようとし、民は投票という殺生与奪の権をちらつかせて政治家に自らの思惑を実現させようとする、相互依存、相互呪縛のシステムである。政治家は、国家権力を操れる分、優勢ではあるが、双方が相手に命を預けているから、どんな政治理念であろうと、どの政党が政権を取ろうと、政民どちらも永遠に自由にならない。その間で生き残りを図る官も結局は、政と民の動きに左右されるから、最後は、全員丸潰れである。

個人の自由、権利と義務、民主化神話、男女平等の思想にどっぷりと漬かっている先進国の市民は、王制に戻ることを望まない。王政から民主制へと世を進めた末の現代社会の大衆は、過去の政治支配のトラウマから、過去の政治システムに戻ろうとはしない。民主化することが世界平和の最善策だと思い込まされているが、実際は、自らの存在の源である神から主権を奪い取ったに過ぎず、神を闇に葬っている大衆が主権者であると主張しても、平和などできるはずがない。民主主義は、最善のシステムなどではなく、世界支配の野望を成就するためのシナリオの最終段階に過ぎない。好き放題に振舞う大衆同士の争いを煽って混乱を作り出し、秩序を崩壊させることによって、自らを導いてくれるリーダーを大衆が要求するという形で、大衆の同意の上の独裁者による王政に戻すためのステップである。大衆自らが求めた独裁者は、大衆が選んだ独裁者であり、自ら選んだ限りは、従わない者は反逆者として処罰できる。

相互依存の略奪の歴史の魔釣りによる政治システムは、民主主義によって秩序が崩壊し、それを収拾するためという名目で権利が奪われてアメとムチの支配が完成し、独裁政治の復活となる。そして、王制、王政、神政の復活へと進み、最終的には、魔釣りの最高神が世を支配する神の世界へと戻る。聖書の世界が現実となる。
posted by oct49 at 09:14| 京都 ☁| 政治/宗教/法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月28日

問題は元々どこにも存在しない。

神法に違反して天国を壊した世界で作ったもので何をしようと本当の天国には帰れない。ますます、違反が進み、学校が乱れ、刑務所が意味をなさなくなり、神のご利益がなくなり、結局は、その世界は、混沌、混乱、混迷、問題だらけの世界になる。

現代社会でいう「問題」を「解決」するためには、問題を生み出した本当の原因を消去しなければならない。自らがその原因を持っていれば、問題の解決と同時に、自らが消去されることになる。今のままで社会をどう改革しようとも、新たな問題を産み続けた末に、自己崩壊の結末が待っているだけである。

真釣り外しの世自体が悪であり、何の目的でそれを続けているのか、その世界の中で善と悪の潰し合いを続けても、全く意味がない。魔釣りのアヤマ知を捨て、自らの生き様を真釣りに戻さない限り、幻想の善と悪は共に滅ぶ。

元つ真釣りの天国には、何の問題もないから、秩序しかない。秩序の維持という思想は、言うなれば、天地の掟を破った悪神が自らの支配する世の維持を図って大神を封じるための策略であり、その企みは絶対に成就しない。

どんなに悪あがきをしようとも、悪神が創った世界は、必ず滅びる。

『神が許しているから裁いてもよいのだ』というのは、「許しているものを禁じる」という矛盾を封印して、自らの生き残りを図るために邪魔者を消す行為を続けるための詭弁である。この世で存在が許されているものを殺すという思想を持つ者、言い換えれば、犯罪者(悪人、この世でいう悪魔)を裁いている裁判官とそれに同調している者(善人、この世でいう神)がどんな運命を辿るのか(自らがいったい何をしているのか)をよく考えてみて欲しい。

真釣りという神法に違反したことがすべての問題を生み出した根源であり、問題は元々どこにも存在しない。つまり、「問題解決」という概念自体が幻想であり、源が魔釣りである以上は、問題が解決されることは絶対にありえない。
posted by oct49 at 23:54| 京都 ☁| 宗教/教育/社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この先も、同じやり方で進むなら、もう日本国に未来はない。

世界は神がその精神の基盤にあり、日本ほど神をないがしろにしている国はない。人類の歴史は、結局は、宗教戦争の繰り返しである。科学と宗教が別物だと思い込み、自国の宗教の実体もわからず、世界の宗教に疎く、自ら考えることができず、今現在の収支決算に右往左往し、経済や福祉や反戦に命を賭け、ありとあらゆる快楽を追い求め続ける現代社会の日本人。安全神話が崩壊したとは言え、現代日本は、民主主義の自由な国、豊かな国、平和な国だと思われている。しかし、それは、表向きのことであって、その実態は、宗教戦争に敗北した神なき神の国である。イスラムとキリスト教の戦いのその裏に、もっと恐ろしい計画が着々と進行している。真釣りの真コトを思い出さない限り、日本も世界も共倒れである。戦後教育によって完全に霊的去勢されてしまった「一般庶民」の思いも至らないところで、神仏の世界や生死、時空を超えた、どえらい仕組みが動いているのである。

今の日本国においては、宗教を個人的に崇拝する分には自由だが、悪魔思想を実行しようとすれば、それは危険思想として国家機関総動員で封印にかかる。獣は人を恐れる。悪魔は神を恐れる。どちらが「国を破滅に導く悪魔思想」なのかを正直に見てみることである。宗教や思想、哲学を表現する自由は一応認められてはいる。しかし、人類の歴史の常として、国家運営や一般社会に大きな影響を与えるようになれば、公安の監視対象となり、いよいよとなれば弾圧される。今の世にある思想ですらそうであるから、真釣りの「思想」は、それは、当然のことながら、魔釣りのアヤマ知で作った国家では、認めることはできない。国家の崩壊を扇動する思想のように見えるからである。それは、今の日本国の根本理念とこの本で語っている理念とが真逆だからであり、著者から見れば、今の日本国家が国家の破壊に進んでいるように見えるのである。史実として大本教の弾圧という実例がある。

今の「日本国」は、民主主義という思想、議会民主(議院内閣)制という政治制度と市場経済を基盤として成立している。科学思想が教育の根底にある理念であり、科学技術と金融経済が日本国を存立させる土台である。そして、その絶対法規が日本国憲法である。歴史を逆戻りさせるような宗教的国家運営を唱える勢力や軍事クーデターを企む勢力を封印し、天皇を象徴に落とし、国教を無宗教に変え、金と科学で国づくりを進めた、その結果が、今である。平成に入ってからの日本の状況、出来事、世界の動きが何を意味しているのか、正直に見てみることである。この先も、同じやり方で進むなら、もう日本国に未来はない。
posted by oct49 at 15:00| 京都 ☀| 政治/宗教/法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月27日

本当の悪から足を洗うこと、本当の悪の戒律を無視することに、罪悪感はいらない。

あなたは、自分が自分を刑務所に入れたことを綺麗サッパリ忘れている。自分の意思で神法違反をしたことを忘れているから、自分が自分を裁いた裁判官であり、自分が自分の刑期を決めている刑務官(神)であることに気づいていない。自分が自分の違反を清算すれば、刑務所が娑婆に変わる。刑務所から出ればそこは天国であるが、神法違反の刑務所は死んでも消えず、次元を超えて存在する。

神法違反を清算しない限り、自らが刑務所を作り続けて、その中で、できない自由を求めて彷徨い続ける。罪を清算(差し引きゼロに)しなければ、永遠の天国には出られない。もし、逃れられない罪や誰かが与える罰、神の裁きというものがあるとすれば、現代社会を作り出した歴史の源の神を倒さない限り、人類は永遠に天国を体験することはできないことになる。

魔釣りの神の裁きは、自称「絶対権力者」の神の気分次第であり、神の言うことを聞けば死なないが自由はなく、言うことを聞かなければ命はない。言うなれば、おのれが死ぬか、最愛の者を殺すか、どちらか選べというのが、魔釣りの神の踏絵である。魔釣りの神、言い換えれば、世の黒幕は安泰である。それはそのまま、魔釣りのアヤマ知の現代社会での究極の場面の選択(脅し)であり、自己犠牲か、自己保身か、の選択を迫られることになる。死ぬのはいやだが、誰かを殺すのもいやだ、と思っていれば、脅した相手に服従するしかないのである。自分が死ぬか、誰かを殺すか、脅した相手に反旗を翻すか(それは、自らの死を選ぶのと同じである)の自由意志の選択があるようで、実は、一つの道しか用意されていないのである。罪悪感を持っている限り、たとえ死んでも魔釣りの神の支配する世界の奴隷から自由にはならない。

魔釣りの神は、真釣りを外すことに罪悪感は持たない。続きを読む
posted by oct49 at 14:27| 京都 ☀| 法/宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
プロフィール
名前:長谷章宏
職業:トータルライフコンサルタント
ウェブサイトURL:http://tlchaoffice.blog85.fc2.com/